おれが白地のノートを好む理由を教えます

私は罫線のあるノートを嫌い、白地のノートを好む。これは間違いなく、中学受験時代からのこだわりである。それより前に使ってるノートは白地のお絵描きノートだから、おそらく私はほぼ一貫して白地のノートを使っている。

罫線があることがひどく嫌だ。圧迫されているような感覚になる。なぜ私が、B5やらA4と言ったわけのわからん規格によって文字の大きさを束縛されなければいけないのだ?もし、罫線をまたいで文字を書いた場合は、その文字が罫線によって横串を刺されて死んでしまわないだろうか?
図を描いてから、newlineして文字を書く時はどうするのだ?図の下端は罫線の間に収まるから、文字は次の罫線からしか始めることが出来ない。なぜだ。 そもそも、罫線があることによって誰が得するのかが良く分からない。凡人は罫線がないと左から右にまっすぐ文字を書くことすら出来ないのだろうか?もっというと、左から右にまっすぐ文字を書くことに何の意味があるのだ?清書したいならばワープロでも使えばよい。 罫線があることによって、自分の書いた情報にノイズが乗るような気もする。左から右に、右から左に、何が飛んでいるのだ?

と言った理由で、私は罫線があることがすごく嫌なので、白地のノートを使っている。その上に自由に筆記する。

さらにいうと、ノートが嫌いだ。ノートには表と裏がある。これはフェアではない。ノートの奇数番目、偶数番目ページは対等ではなく、これはノートに筆記した体験のある人間ならば誰しも感じることだ。なので私は白地の、レポートパッドを特に好む。ノート調にしたい場合はルーズリーフを使う。ルーズリーフは、ノートの枚数に束縛されることがなくて自由だから好む。

ホワイトボードは好きだ。学生時代は、研究室の自席にホワイトボードをもらってそこに筆記をして、デジカメで書いて保存するという作業をしていた。日立時代も、ホワイトボードのある小部屋を占領してその中に閉じこもっていたこともある。ホワイトボードは良い。ホワイトボードとスクワットラックのある部屋に住みたいものだ.

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