テストステ論

京大卒の高テス協会会長がテストステロンに関する情報をお届けします

人は自分のものさしでしか物事を評価出来ない

自分にとってネガティブなことを言う人を周りに置くな、排除しろと言うことはよく言われることだ。特にSNSの普及により見知らぬ人からあれこれ言われることが多くなってきた現代では、これを実践している人は多いだろうし、おれもそうしている。しかし、理由は違うかも知れない。

ほとんどの人は、その「ネガティブなことを言う」という点に着目して、それが自分にとって悪いストレスにしかならないとか、あるいは、ポジティブではないからとか理由のようであって理由ではない理由づけをしようとする。ではポジティブなら良いのか?常に前向きな言葉を投げかけてくれる人間は自分にとって良い人間なのか。そうでもないことは明らかである。

一方でおれは、なぜその人はネガティブなことを言うのだろうということを考える。そして、ネガティブなことを言うということは、ある事象がその人にとって不快だからと考える。

ではそれはなぜか?おれはその答えは、その事象がその人の能力の外にあるからだと考える。その事象が成り立ってはならないから、成立しないように否定をする。だから、ネガティブな人を近くに置かないというのは、単に能力が低い人を近くに置いても意味がないから、となる。これなら誰でも理解出来る。もちろん、能力の高い低いというのは、数値で比較出来ることではない。しかし、自分が当然だと思ってることに対して否定してくるということは、これはどういうパラメータをとっても絶対的な能力差があると思って良い。だから安心して排除出来る。

例えば、「それは出来ない」という人は、単にその人にとって出来ないと思うから出来ないと言ってるのであって、理工学的な観点から出来る出来ないを主張しているわけではない。それが出来てしまうと、自分の理解を超えてしまうから、嫌だと言ってるに過ぎない。おれの経験では、本当に優れてる人は、出来ないというのではなく、「もしこうなったらどうなる?」と問いかけるものだ。否定というのは、ともに達する結論のうち一つに過ぎない。

例えば、おれは「京大卒」「麻布卒」などという言葉をブログや動画で使うことがある。しかしこれは、自分の持ってる武器を多少なりとも使うという、広大なネットの海で戦うに当たっての当たり前の戦略であって、それ以上の意味は何もない。おれは、巨乳の女性が首から上は全く見せず、谷間だけを見せてASMRをしている動画についても肯定的である。それは、単に武器を使ってるに過ぎない。ここは、持ってる武器を出し惜しみしては全く勝負にならない世界だ。

しかし、これに対しても、「自慢だ」「過去の栄光にすがっている」という人が未だにいる。ではなぜ彼らはそう言うのか。それは、京大卒や麻布卒という私にとっては当たり前のことが、彼らにとっては自慢や過去の栄光に見えるからだ。単に個人的にそう見えて、不快だと言ってるだけだ。未だに「日立をやめた人」「後悔してる人」と粘着してくる人がいるが、それも同様である。彼らにとって、日立は足蹴にされてはならない存在であり、それが許せないだけだ。もちろんおれも足蹴にしたつもりはないが、そう見えても仕方がないとは思っている。

冷静に考えて見てほしい。おれはもうかれこれ20年くらい麻布卒だ。そろそろ京大卒10年目にもなる。そんなもんだ。むしろ、東大卒だったらなぁ、開成だったらなぁ、灘だったらなぁ、グーグル出身だったらなぁと思うことの方が多い。ここでおもむろにカウンターストライクに例えると、あいつらがAK47を持ってるとしたら、おれも一応Galilくらいは持ってるんだから、とりあえず持ってる武器は使って戦おうというだけなのだ。GlockでAK-47と撃ち合ったら100%死んでしまう。いや、GalilですらなくSMGかも知れない。しかし、Glockよりはマシだ。

だからおれはこれからもこのGalilで戦っていく。

f:id:akiradeveloper529:20191009224925j:plain

おれは自分より若い人たちに、こういった否定マンになってほしくないから、しょうもないかも知れないけど、アドバイス的なものをしておきたい。

以上のことを逆に考えてみると、自分が不快だ、と思うことはもしかしたら成長の余地を示してるのかも知れない。こう考えれば、否定しそうなった時に、もう一度肯定するきっかけになる。否定することは楽だが、肯定してそれを追いかけることは難しいことだ。しかし、追いかけた先には必ず成長がある。そして他の苦しいことに出会った時にもポジティブに考えられるようになる。

ポジティブスィンキングとかいって、無理やりポジティブポジティブで考える訓練があるが、それは意味ないと思っている。そもそも困難に対して否定せず肯定的に立ち向かっていった経験だけが、新しい困難に対しても肯定的に立ち向かわせてくれる。池江璃花子さんのように、アスリートが病気になってもポジティブに病気と戦おうとするのは彼らが常に自分の限界を超えるために、出来ないと思う心を封殺してるからだし、子供の頃に親に否定ばかりされた子は肯定的な考え方が出来なくなってしまうというのも同様の理由だと考える。

  • 否定的な人間を周りに置かないこと
  • 否定しそうになった心を封じ込めて肯定しようとすること

これを気をつけてほしいです。