AI時代における囲碁プロ棋士の価値

漫画「ヒカルの碁」は、本因坊秀策という江戸時代の天才棋士が 神の一手を極めるために現世に蘇るというストーリーだ。

ところが、もはやこの動機は無意味なものとなっている。 なぜならば、神の一手はAIが極めるからだ。 すでにAIの能力は人間の最高峰と2子以上の差があり、 人間が神の一手を語るのはもはや滑稽なレベルになっている。 だから今のプロ棋士はみんなAIの碁を研究するし、 AIが打ってる定石を採用し、AIらしく打とうとする。

これだけ聞くと、もうプロ棋士は「ギュられた」と思うかも知れないが、 おれはそうも思っていない。 というのはエンターテイメントとしての価値が残っているからだ。 これはスポーツにも言えることだろう。 アマチュアに関しては健康維持であったり趣味であったりするから、 そのコミュニティを盛り上げていくためにもプロの活動には意味があると思う。

こういう観点でプロ棋士の価値を見た時、1つ思うことがある。 それは、持ち時間が長い碁って必要ですかということだ。

人間がこの世でもっとも囲碁が強かった時代であれば、 人間が何時間も考えて究極の一手を模索していき、 その棋譜を後世に残すことには意味があったかも知れない。 実際、江戸時代の碁は持ち時間が無制限であったという。 そしてそうして作られた棋譜は、その後何百年もの間、 世界中で並べられて研究されたから、確かに意味があった。 しかし、今の棋譜にはそういう価値はない。 実際、3年後の棋士ですら、今の棋士の棋譜を並べたりはしないと思う (武宮正樹の碁とかは永久に並べられると思うが)。 もはや、棋譜は囲碁の発展に寄与しないし、 人間が最高の棋譜を作る努力をする必要もない。

だから、持ち時間が長い碁というのはもう無意味だ。 見ている方が退屈なだけだし、出来れば一手30秒。 長くても一手数分ではないだろうか。

日本の棋士は国際棋戦で苦戦しており、 その理由として、国際棋戦は多くがこういった早碁であるにも関わらず、 日本のトップ棋士は持ち時間8時間の碁に最適化され、 その上打つ度に心身疲弊しているからだと言われる。

だから、 人間が長時間考えることにもはや意味がなくなった今、 日本の碁も早碁中心にしたらどうだろうか。 その方が国際棋戦も勝てるようになるだろうし、 日本の囲碁の盛り上がりにも繋がるだろう。

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