令和版るろ剣の最新話(15話)を見た。
平成版の奥義伝授シーンは、おれの中ではアニメ史上最高のシーンの一つであり、楽しみにしていたのだが非常にがっかりした。ツイッターを検索しても、そういう人がたくさんいたので、この記事では、令和版における劣化について、2点説明する。
伝説の名台詞「この愚か者が!!!」が消滅
まず背景を説明すると、剣心は幕末での経験から、自分の命を軽く見る傾向があった。 師匠の比古清十郎は、その心自体が自身の心に巣食う人斬りの存在を制御出来ない理由であり、 また、生死の境目まで踏み込むことを必要とする奥義「天翔龍閃」の習得にはこの考えを改める必要があると見抜いていた。 だから大枠では、剣心が自身の命を軽く見ていたことを自覚する→奥義習得という流れになる必要があり、これは平成版・令和版ともに変わらない。
平成版では、比古清十郎が九頭龍閃を発動する瞬間、剣心が未だに自身の命を軽く見ていることを悟ると同時に「この愚か者が!!!」と叫んで突進する。しかし、令和版ではこれがなかった。
この「この愚か者が!!!」、実はそもそも平成版のアニオリなのだが、何かしらの形で残してほしかった。このセリフ一発で、比古清十郎が優れた師匠であり、剣心の内面を完全に見抜いていることがわかるし、自分の大切な弟子に引導を渡そうとする比古清十郎自身も葛藤していることがわかるからだ(だから、比古清十郎も寝付けなかったのだ)。比古清十郎自身、剣心が一晩で自身の心の弱さに気づき、無事に奥義を会得してくれることを願っていたはずであるから、このセリフの中には比古清十郎の剣心に対する愛情も感じることが出来る。これが、「この愚か者が!!!」が長年名台詞として語り継がれる理由である。
ではなぜ「この愚か者が!!!」が削除されたのだろうか。おれの分析はこうだ。剣心は今、最難関の奥義を習得するために頑張っている弟子であり、比古清十郎はその師匠である。その師匠が、頑張っている弟子に対して愚か者呼ばわりすることはエデュハラに相当し、現代では許されなかった。
現代では、会社ではすぐにパワハラ、教育現場ではエデュハラだアカハラだと言われる風潮がある。しかしそれで損をしているのは実は、教育される側の人間である。 剣心が、飛天御剣流の技を師匠にボコられながら身体で覚えたように、教育には、怒鳴られて泣きながらやってようやく人間は成長するという側面もあるのだ。 この風潮をアニメの倫理にまで拡張して、アニメ史上最高のシーンの一つを破壊したのだとしたら、あまりにくだらない。これでは共産主義者の思う壺である。
剣心が死ねない理由の解釈を捻じ曲げてる
比古清十郎が九頭龍閃を発動してから自身に斬りかかるまでの刹那、剣心は「おれはまだ死ねない」ことを悟るわけだが、この解釈がおかしくなっていた。
剣心が自身はまだ死ねないと思った理由は、大好きな薫殿にまた会いたいからだと思っている人がいるかも知れないが、それは真の理由ではない。
剣心は心太であった時、強盗に襲われたが、その時に、同じく身売りされたお姉さんが自身のことを庇って死んでいった。 その時、何も出来なかった自分の弱さを語る小さな心太に、比古清十郎は、弱きものを守るための剣である飛天御剣流の継承者としての素質を見出し、剣心の名を与えた。 飛天御剣流の修行を概ね終えた剣心は、苦しんでいる人たちを救うために幕末の志士として活動することを望み、師匠の元を離れることになる。 そして、伝説の人斬りとしてたくさんの人を殺した剣心は、自分の命すらも軽んじるようになった、というのがるろ剣のストーリーである。
では、この剣心の行動原理の奥底にあるものは一体なんだろうか。それは、お姉さんを守れなかったという後悔である。 そして、比古清十郎という絶対の死に直面した剣心に「おれはまだ死ねない」と気づかせたのは、やはりお姉さんの「心太、あなたは生きて」なのだ。 お姉さんに始まり、お姉さんに終わる。 そういうストーリー構造をしていないとおかしい。
平成版では、実にこの解釈を的確に表現出来るのだが、令和版ではとんでもないことになっていた。
令和版では、剣心が死ねないと気づいた理由が「死が怖いから」と「仲間たちに必要とされているから」の2つに分解され、それぞれがしつこいくらいに説明されている。理由自体間違っているし、説明もくどくてうざい。
なぜこんなことになってしまったのか。理由は3つ考えられる。
1つ目は、そもそもお姉さんが野盗に強姦殺人されるという内容がやはり現代の倫理では表現しづらかったからだ。それを完全に省く必要があったため、「心太、あなたは生きて」というセリフも入れることが出来なくなった。
2つ目は、昨今、子供の自殺が増えていることを鑑みて、自殺予防的なメッセージ性を持たせるためである。死は怖いものであり、あなたを必要としている人はどこかにいる。そんなメッセージを伝えることにしたのだろう。
3つ目は、子供たちの理解力の低下である。なぜ剣心は死ぬのが怖くないのだろう。なぜ剣心は突然、死ぬのが怖くなくなったのだろう。現代の子供に、このようなことを考える能力はなく、わかりやすく説明する必要がある。そこで、わかりやすく、そもそも死が怖いことだと気づいたからと、自分を必要としてくれている人たちがいるし恋人や友達にまた会いたいから、という2本立てでわかりやすく説明することにしたのだ。それでも、大枠としてストーリーが壊れることはないから妥協したのだろう。
当然、このような理由にしてしまうと、剣心の目から涙が溢れ出る理由もわからなくなってしまうから、その描写も省かれている。この描写も最高なのに。
くだらなすぎる。そんなぬるい考えならアニメ制作なんかやめちまえ。昔のアニメは良かった。今のアニメはゴミだ。
最後に、さきほど、剣心が死ねない理由に薫は関係ないようなことを言ったが、実は微妙に嘘をついた。 そもそもだが、るろ剣を見ていて奇妙に思う人は多いだろう。なぜ剣心は、薫のことをこれほどまでに大切に思っているのだろうか。 かわいいからだけでは説明がつかないほど異常だとは思わないだろうか。おれの考えでは、剣心は、薫を自分を庇ってくれたお姉さんに重ね合わせているのだ。 雪代縁が作った薫の死体人形を見た時、剣心が絶望してしまったのは、お姉さんを「また」守れなかったからである。
だから、比古清十郎の九頭龍閃を受けようとするとき、お姉さんの言葉によって覚醒したのだが、 人斬りとして生きる上で封印していたその言葉を思い出したのは、薫の存在があったからだ。
ここまで読んでから、もう一度平成版を見て、素晴らしさを堪能してほしい。