日本で自動運転を成功するために必要なものは教育である

老人に免許をもたせるな

飯塚幸三は立派な人物である。 紛れもなく、理系人材としては。尊敬の念すらある。

しかし彼の人生の最後において、ただフレンチの予約に遅れそうになっただけで、 ただ焦ってアクセルとブレーキを踏み間違えてしまっただけで、 まるで大量虐殺犯のような汚名を着せられることとなった。 秋葉原で大量虐殺を行った加藤智大とそう変わりないと思っている人は多いだろう。

しかし、彼のケースはこうも考えることが出来る。

「あんな老人に免許を持たせておいた国がそもそも間違えている」

と。

飯塚幸三の事件が起きてから、ツイッターやユーチューブでは、 老人による暴走が動画として暴露され続けている。 中には、気が狂ってるのではないかと思うものすらある。

彼らに免許を持たせてはならないということは明らかだ。 アル中で手が震えてる外科医がメスを持ったら危険なのは明らかなのに、 なぜ老人に今でも免許を持たせているのか不明だ。 「先生、ご決断を」と言って引退を迫る財前のような男が必要だ。

いつもどおり軽く脱線し事故りそうになったが話を戻すと、 その理由は、過疎地域では車なしでは生きていけないからだ。

私のおばあちゃんの田舎(北海道)では、近くのコンビニまで歩いて1キロ、 ちょっとしたスーパーまでは車で30分かかる。

これは、80の老人にはきつい。だから、車が必要なのだ。

そしてもし、田舎の老人に免許を持つことを許すならば、 当然、都会の老人にも免許を許さないわけにはいかないというのが、 国の論理なのだ。なぜならば、田舎と都会の線引が出来ないからである。 ある境界を一歩でも出たら老人は免許が持つことが許されないなんて話はあり得ない。

飯塚幸三が叩かれているのはこの点でもある。 彼は東京に住んでいる。東京には、バスやら電車やらが 死ぬほど通っており、どこへ行くにも全く不便しない。 都会ならばタクシーも死ぬほど走っている。 それほど車に乗らないのであれば、維持費などを考えると タクシーを使った方が経済的にもお得という試算も存在する。

それにも関わらず、自ら免許を返上せず、結果として 事故を起こしたことが問題とされているのだ。 本来不必要な運転をし、人を殺したからだ。

彼は原因を驕りにあったというが、私もそう思う。 優れた理系人材であった飯塚幸三であれば、 自らの能力の衰えを正確に分析し、車を安全に運転する能力が あったかどうか判断出来たはずだ。 だから、免許を返上しなかったのは、驕りというわけである。 彼がバカでないから驕りになるというのは、皮肉なことだ。

バカならただ「バカだから」で済んだものだが、 飯塚幸三はそうはならない。 だから、罪は重い。

解は自動運転。しかし自動運転の事故は0にはならない

この問題に対する一つの解が自動運転である。 しかし自動運転も完璧ではない。

例えば、今使われているセンサーは雨の日には 精度が悪くなったりするし、雪が降ると無能になる。 アメリカでは、砂嵐でセンターが無能化したという話もある。

例えば、対向車があまりにも理解不能な動きをした場合には、 事故を起こす可能性がある。全てが一斉に自動運転になれば 楽なのにというのはよく言われることだが、現実的には 自動運転車と非自動運転車が混ざる期間は避けようがないことだから、 一定数の事故は避けようがない。 アメリカではすでに死亡事故も起きている。

では、このような不可避の事故に対して自動運転の提供会社はどういう考えを 持っているかというと「死亡事故はしょうがないから、保険で対応します」 だ。

こういうことである。

自動運転で事故る確率は0には出来ない。 しかし十分に低くすることは出来るし、被害自体を小さくすることも出来る。 従って、もし事故ってしまった場合は保険で対応するとしても、 そこまでの負担にはならない。 現状の人間運転でも実際に事故は起こってるし、 人間運転より事故による被害を低く出来るなら、 自動運転はあった方がよいということになる。


もっともらしく聞こえる。

日本で一回目の事故が起きたらどうなるか

さてここで本題だが、 日本人はこの考え方を受け入れることが出来るかどうか考えたい。

私は技術うんぬんの前に これが日本で自動運転を導入する際にもっとも障壁となってくることではないかと思う。

なぜかというと、日本の多くの人は、

  • 賢い人が作ったものは完璧なはずである
  • 完璧なものは事故を起こさない
  • そもそもプログラムにはバグがなくなってから出荷される

と信じ込んでいるからである。もちろん、いずれも嘘である。

一回目の事故が起きた時、大問題になることは想像に難くない。

「自動運転を導入したのは早計だったのではないか!」

からはじまり、

「このような事故は折込済であり、保険でカバーする仕組みです」

と言っても理解されず、

「人命をお金の問題に置き換えることで軽んじている」

と言い始める人も出てくることが容易に予想される。

保険自体を正確に理解するにはかなり難しい数学が必要になる(はず)のだが、 そうでなくとも、この問題を直感的に理解するだけでも期待値という考え方を理解することが必要になる。 だから、人間が事故を起こすより率が低いからマシでしょと言ってもそもそも理解されないし、 議論を捻じ曲げて

「人間なら気をつければ事故をなくせる」

とまで言い出す人が出てくることも容易に想像出来るのだ。 そしてこれはきっと、少数派ではなく、多数派である。

これは、以前に取り上げた建設会社がパイプを落としてしまった話において

Want-To-Be Thinkingについて考える

「気をつければパイプを落とさない」という謎ロジックを前提としている人間がいることから そう考えるものである。実際に、この程度の人間は見渡せば周りに死ぬほど見つかる。

彼らは、頭が悪いだけなのだ。

自動運転を成功させるには教育が必要

自動運転に反対するものを全員処刑すれば、これがてっとり早いだろうしゴミ掃除にもなるのだから もっとも価値のある行為である。しかし倫理的には問題がある。

私は、算数や数学・プログラミングの教育をもっと強化して、 自動運転というものがどういうものか想像がつき、 保険でカバーするということがいかに妥当なことかを理解出来る人間 を増やすということが今後につながると思う。

政府は、AIエンジニアを増やすことを目的として、 数学教育を強化せよと大学に訴えているわけだが、 それ自体意味があるにしても、私にはこの国に本当に必要なのは、 そういう攻めるための教育ではなく、守るための教育ではないかと思う。 つまり、無知故に足を引っ張る人を少なくするための教育だ。

この国で技術的に世界最高のものを何かしらの分野で作り出すことは可能だと思うが、 足を引っ張る人がいては何にもならない。 それが、単に、出る杭を打つというだけではなく、 無能故だからなおのことたちが悪いのだ。

日本で自動運転が一般に流通する日は来ないんじゃないかと思っている。


このエントリーをはてなブックマークに追加

See also