中学受験小説「声の郵便やさん」

「ねえねえお父さん、変な貝を拾ったよ!ほら、耳に当ててみて!」

私は、子供が拾ってきたありふれた小さな巻き貝に耳を当ててみた。なんのことはない、ざぁーっという潮の音がする。子供の頃によく聞いた懐かしい音だ。しかし耳を澄ませて聴いてみると、少女の声がする。間違いない、これは確かに少女の声だ。

「もし、この巻き貝を拾った人がいたら最後まで聞いてください。私という人間が生きていたことを、誰かに知ってもらえたら」

〜〜〜〜

私が生まれたのは今から12年前のこと。決して特別ではない、ごくごく普通の家庭に生まれた。ただ、お母さんにはよく絵本を読んでもらったことを覚えている。よく図書館に連れていってもらって、たくさんの絵本を借りてきてはそれを読んでもらい、それを繰り返した。

私が幼稚園の頃に書いた作文を家に持ち帰って仕事帰りのお父さんに見せたら、「夏子はすごく頭がいいんだね」とすごく喜んでいた。それが嬉しくて、毎日のように作文を書いて、お父さんとお母さんの前で発表するのが日課となった。仕事帰りのお父さんは疲れているはずなのに、いつも笑顔で私の発表会を楽しんでくれていた。

あれは、小学校に上がってすぐのことだった。私とお母さんは学校の先生に突然呼ばれ、私はきっと叱られるのだと思っていたが、それは全く想像していなかった言葉だった。「夏子さんは特別な才能を持ったお子さんです。ぜひ、中学受験を検討されてはいかがでしょうか」私たちは、何のことかしばらく理解出来ず、きょとんとしていた。

ここから、私たちの戦いは始まった。

中学受験の塾というのは、いつも通っている小学校とは違い、学力を上げるためだけに行くところだ。塾メイトとは言っても限られた席を奪い合うライバルには違いない。しかし遥とだけはお互い競い合うライバルでありながら、親友と呼べる関係にあったと思う。少なくとも私はそう思っていた。

私が夏子で、彼女が遥(はるか)なので、私たちは春夏コンビと呼ばれ、塾内でも人気者だった。塾内の成績も常に1番と2番と競い合っていた。私が得意なのは国語で、遥が得意なのは算数。得意科目が違うこともあり、お互いに尊敬し合える良い関係だった。私が統一模試で失敗して泣いていた時にも、「一緒に桜友に行くんじゃないの!」そう言って励ましてくれたのが遥だった。

中学受験の費用を稼ぐために、私のお母さんは必死に働いた。それがわかっていたからなおのこと、私は負けるわけには行かなかった。

「今日は仕事が遅くなっちゃうから迎えに行くのが遅くなっちゃうわ。迎えにいくまで自習室で勉強しててね」こんなこともよくあった。そんな時は決まって遥も一緒に自習室で居残ってくれて、お互いに得意な科目を教え合った。

「ごめーん!今日は夏子と一緒に勉強していくからせっかく迎えに来てくれて悪いんだけど、またあとで迎えに来てよ!電話するから」ニ階の窓から遥が彼女のお母さんにそう言うと、親指を立てて「グッド!」と言って、遥のお母さんは車で帰っていった。そんなお母さんに育てられたからか、遥は男の子のような性格だった。私は少し内気なところがあるから、遥のそういったところには少し憧れていた。

こうやって私たちは無事、運命の2月1日を迎えた。

昨日の夜は久しぶりにぐっすり眠れた。勉強するのは今日で最後、そう思うと気が抜けてとてもリラックス出来た。顔を洗って歯を磨いて、いつもどおり朝ごはんを食べた。今日が本当に本番?そう思うくらいリラックスしている。よし、これなら行ける!

「夏子、そろそろ行くわよ。準備はいいわね?」そう言ったお母さんの顔が若干引きつっていて、私は思わず笑ってしまった。「お母さんがそんなに緊張してたら私にまで緊張が移っちゃうから少しリラックスしてよ。ほら。にぃー」

「夏子。応援してるぞ」玄関先で、大好きなお父さんが見送ってくれた。

私の家から桜友のある水橋道までは電車を一回乗り継いで約40分。近くはないけど、十分に通学圏内だ。コロナのおかげで会社に行かない人が増えたからか電車は空いていて、私は窓の外を見ながら春から飽きるほど繰り返しに見ることになるであろうこの光景に胸を高鳴らせていた。

その時だった。お腹が少し痛い。お母さんにそう言うと、「あと少しでつくからもう少し我慢出来る?学校についたらすぐにトイレに行きましょう」と言った。

痛みをこらえて駅につくと、私たちは駆け足で学校に向かった。「すいません、娘が少しお腹が痛いというのですが、トイレはどこでしょうか?」そういうと案内の女性が親切に、トイレまで案内してくれた。

トイレを済ますとお腹の痛みはなくなった。「どうだった?大丈夫?」母親が大声でそう聞くので恥ずかしくなって「トイレの前でやめてよお母さん・・・」と言うと、案内の女性はくすくす笑っていた。でもこれでお腹の調子も万全になった。これであとは試験で実力を出せば、私は春から憧れの桜友生だ。「ありがとうございます。これですっかりよくなりました」そうお礼を言って女性とは別れた。

トイレのある建物を出ると、私たちは受付の列に並んだ。今年はコロナ対策で、入場時に体温を測っているため列の進みはゆっくりしている。募集要項によると、37.5度以上の熱がある場合、試験が受けられなくなるということだが、今朝の体温も平熱だったし私は大丈夫。

とはいえ少しドキドキしてきた。万が一、機械が故障していて熱が間違って測定されたらどうなるんだろう。そんなことを考えていたら少し不安になってきた。

「夏子、大丈夫?少し顔が引きつってるわよ?」私が少し不安げなのか、お母さんがそう聞いてきた。私は「やっぱりお母さんの緊張が移っちゃったのよ。どうしてくれるの」と必死におどけてみせたが、内心はドキドキしていた。

ドクンドクンと脈打つ音が聞こえる。もし、機械が故障していたら?

「次の方どうぞ」

ついに私の番が来た。

「じゃあ計測しますね。ここにまっすぐ立ってください」

「(お願い!!!)」

ピーーーーーーー!

「え・・・?」

「37.7度ですね。もう一度計測しましょう。あー、また37.7度だ。じゃあ今度はこの体温計で測ってみましょう。あー・・・こっちも37.8度か・・・」

「(どういうこと?家を出る時には36.2度だったのに、何言ってるの?それは私の体温なの?悪い冗談はやめてよ)」

「申し訳ありませんが、募集要項に書いたとおり、規則なので受験することは出来ません。こちらも大変心苦しいですが、規則なのでどうぞご理解ください」

その時だった。こんな母親の顔を見るのははじめてだったと思う。受付の人の肩を掴み、「もう一度測ってください!!!何かの間違いに決まってます!!!」と、ものすごい剣幕で迫っている。私は、これがとても現実のものとは思えず、脱力して、ただ立ち尽くしてその異様な光景を見ているだけだった。

「お母様、申し訳ありませんが規則なのです。ご理解ください。私たちもこんなことをしたくてやっているわけではないのです・・・」

男の人の目から涙が流れ落ちるのが見えた。

お母さんは、男の人の肩を強く掴んでいた手をぶらんと離して、そのまま膝から崩れ落ち、うつ伏せになって大声で泣いていた。荒れた手は、再び強く握りしめられ、冷たい床に思い切り叩きつけられた。

私は、何も考えられず、頭が真っ白になりかけていた。その時だった。後ろの方から声が聞こえた。聞いたことのある声だ。これは、遥だ。

「おいそこのコロナ女!早くどけなさいよ!後ろの方は寒い中まだ外で並んで待ってるのよ!往生際が悪いわよ!いい加減さっさと帰りなさいよ!」

この声は本当に遥なの?この日のために一緒に勉強してきた、あの遥なの?私は真実を知るのが怖くて振り向くことが出来なかった。

私とお母さんはその後、別の通路から校外に案内された。案内役の人が深くお辞儀をしていたが、別にあの人が何か悪いことしたわけじゃないのに何を謝っているのかな、と私は不思議に思った。その頃にはもう、試験を受けられなくなったことは、もうどうでもよくなっていた。

その晩、母親に連れられて私はこの海に来た。真冬の海風は思っていたより冷たい。

私は一生懸命がんばった。だけどコロナに人生を翻弄され、親友にも裏切られた。もう、何もかもどうでもよくなった。この冷たい海に身を投げ入れて、この呪われた人生を終わらせる。

「夏子、そろそろ行くわよ。準備はいいわね」

お母さんがいった。私の手をぎゅっと、痛いくらいに握りしめている。お母さんも、きっと怖いんだろう。

その時私は、昔お母さんに読んでもらった絵本のことを思い出した。そう、あれば巻き貝に声を吹き込んで大切な人に届ける郵便やさん話だった。

「ちょっと待ってて、すぐに戻ってくるから」そう言うと私は浜辺に良さそうな巻き貝を見つけ、誰かに届くことを願って、声を吹き込んだ。

これが、私の最後の作文。出来れば、大好きなお父さんに届きますように。


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