【25年目の麻布中学合格体験記】いじめ - 上履きには画鋲。ランドセルは道路に放り投げられた

あなたは学校で下駄箱を見ると、上履きの中に画鋲が入っていたことがあるだろうか?自分のランドセルが3階の窓から放り投げだされて、道路に叩きつけられ、中身が無残に散らかったことがあるだろうか?

私はある。これが私が、平凡な人間をゴミだとしか思わなくなった始まりでもあるし、小卒試験を提案している理由でもある。小卒試験で不合格になったものに対する罰は、当初、死刑だった。本心ではそうすべきだと思っている。

小卒試験制度の導入を提案する

すべての原因はねたみだった。勉学優秀で、スポーツも万能、全ステイタスが最高に近い私は、ゴミどもからのねたみの対象になった。その結果がいじめだった。

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危害が与えられなければ別に構わないと思っていたが、いじめグループの中心が、友達だと思っていた人間であることがわかり、私はとても悲しかった。だから、やめてくれと頼んだが、ふざけて受け入れようとしなかったため、叫びながらダッシュして、本気で体当たりをした。相手は吹っ飛んだ。攻撃する覚悟を見せてからは、結果としていじめはなくなった。

中学受験生というのは、他の小学生とは違う道を進もうとしているのだから、それだけでも目立ってしまい、いじめの対象になる。さらに、学業もスポーツも優秀、鼻持ちならない性格となれば、いじめられるのは当然だ。当然だとは言ったが、いじめるべきと言ってるのではない。いじめは悪であり、根絶されるべきものだ。しかし、人間の性質的に、いじめはなくならない。特に日本では、優秀だったり目立っていたり、本当はポジティブなことなのに、それがなぜかいじめの原因になる。だから、平凡な人間にねたまれぬように適当と仲良く出来るようなレベルの大したことない人間しか活躍出来ない。その結果が、今の日本である。

私は、元いじめられっ子の一人として、いじめられて自殺する子供が後をたたないことを大変憂いてる。いじめられっ子世に憚るということわざがあるが、それは当然である。いじめられるということは他人とは違うということであり、他人と違うということは学校という小さな社会を飛び出てしまえば、有利なことでしかないからだ。本当はポテンシャルのある子がいじめられ、自殺しているのだとしたら国家的にも大変な損害である。東須磨小学校で教員内でのいじめが発覚したが、当然許されるべきことではない。彼らは教員をやっていい人間ではない。さっさと教員免許を取り上げることを望む。議論の余地はない。

さて、ここでいじめられっ子に対して何かがんばれとか反撃すればいじめはなくなるとかエールを送れたら良いのだが、自分の場合はたまたま運動能力が高かったから反撃出来たに過ぎないと思っている。もし本当にひ弱な子だったら、どうしようもなかっただろう。友達を大事に思っている子であれば、もっと辛かっただろう。もしそうだったら、屋上から飛び降りて死んでいたかもしれない。実際にそう考えたこともあった。大事なことは、周りの大人たちがしっかりと見守ることなのに、その先導たる教員がいじめをするというのはやはり許されるべきことではない。

いじめが終わったあと、中学受験は救いだった。麻布中学に合格すれば、ゴミどもと金輪際付き合わなくて済む。もし、中学受験に落ちて、公立の中学に行けば、それも冷やかされてまたいじめられることは明らかであったから、なおのこと落ちるわけには行かなかった。落ちたら死ぬしかないと思っていた。母親も、私が麻布中学に落ちたら自殺すると思っていたらしい。

中学受験に文字通り、命を賭けていたのだ。


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