中学受験の失敗は地頭が悪いことの証明だ

「学歴なんか関係ない」という人がいる。 ここで、学歴というのが出身大学のことであり、 関係ないというのが「大して難しくない仕事をする上では」 という枕詞つきならば、そうだろうとは思う。 生まれた環境が悪く、 まともな教育を受ける機会を得られなかった人というのはいるだろうし、 多くの仕事というのは教育は必要ない。 例えば、 プログラマという仕事にしても、世の中で一般に言われているレベルの仕事であれば、 小学生でも出来るような仕事だ。 しかし、難しい仕事になり、高度な論理的思考力、 抽象的な思考、数学力などが求められるようになった途端、 学歴がない人間は役に立たない。 学歴なんか関係ないというのは文脈に依る話なのだ。

一方で、中学受験の結果というのはほとんどの場合、文脈に依存しない。 中学受験には、低偏差値向けのテキストというものは存在しない。 四谷大塚であれば、予習シリーズという教科書があるが、 この内容をしっかりとマスターすれば、誰でも難関校を目指すことが出来る。 あくまでも入力は全員同じで、誰しもが難関校を目指せる環境にあるが、 頭の良し悪しによって志望校が絞られていくだけの話なのだ。

だから、中学受験の失敗というのは、言い訳が効かないものとなる。 それは事実上、地頭の悪さを示す証明となる。 これは致命的なことだ。 中学受験を始める時には、まずこのリスクについて理解する必要がある。 中学受験で負けは許されないのだ。

進学先を見れば、どういう中学受験をしたかは想像出来る。

例えば、駒東という学校があるが、この学校を最初から目指す子供は存在しない。 駒東を侮辱する意図はないので断っておくと、駒東というのは簡単な学校ではない。 準御三家というほど難しい学校であり、問題自体も決して簡単ではない。

しかし、この学校に行く子供のほとんどはもともとは開成か麻布を志望していたが、 最終的に泣く泣く駒東に落とした子供なのだ。 駒東に合格者を1出せる可能性の高い子供を上位の学校に挑戦させてむざむざ0にしてしまうというのは 塾としてはとても惜しいことであり、 志望校相談の段階で駒東に落とすことを提案された光景が在々と目に浮かぶ。

駒東といえば、親に殺されてしまった熊澤英一郎の出身校でもある。 彼は駒東でいじめられたことがきっかけで人生を台無しにしてしまった。 一般に、 偏差値の高い学校にはいじめは少ない 傾向があるが、駒東にはいじめがあるのだ。

学力があるなら他校にすべき

いじめは存在します。 人間関係を理由に自主退学した人が学年に2,3人います。 自由という名の放牧(まさに動物園です)なので、学校側が生徒の生活を把握していません。 いじめ防止基本方針というものがありますが、生徒はそれを知らされていないため、抑止になっていません。

本当の志望校にチャレンジすることすら許されなかったという負い目が、 中学に入ってからいじめという形で発現する。 おれにはそういったメカニズムが読み取れる。

駒東に関しては現在は2月1日の入試のみだが、 一昔は2次試験まであったらしい。 この歯科医はに1日の麻布中学に落ち、駒東の2次試験で合格し、進学した。 そういったコンプレックスが、 歯科グループの理事長になった 今に至ってもこういった文章を書かせてしまう。 麻布学園というところ

このように、 中学受験に詳しい人間にとっては、 出身校を見ればその人間のすべてがわかると言っても過言ではない。 まさに「中学受験歴はすべてを語る」といえる。

中学受験をするならば、絶対に勝つこと。 あるいは最初から戦わないこと。 本気で戦って負けてしまったら、本人にとっても負い目になってしまうし、 他人からも「バカなんだろうな」と見られてしまう。

参考動画:

comments powered by Disqus
Built with Hugo
テーマ StackJimmy によって設計されています。