中学受験のゾルトラーク化という言葉をご存知だろうか。
ゾルトラークとは、アニメ「葬送のフリーレン」の中で出てくる魔法の名前で、 50年前には最強クラスの攻撃魔法だったが、その後魔族に研究され、 今ではクソ雑魚魔法に成り下がった魔法のことだ。
中学受験業界では、 過去には開成などの最難関校で出ていた難解な問題が 今では偏差値50やそこらのパンピー中学でも出題されているらしいが、 このことを「ゾルトラーク化」と呼んでいるらしい。
この事実を以て、ネットでは多くの人が「中学受験は難化している」 と主張しているのだが、藤沢数希氏は逆に、 「いや易化してる。なぜならば、子供の数が減っているからだ」 としている。
おれは完全に藤沢数希氏の意見に同意なのだが、 なぜこの両者は噛み合わないのだろうか。
理由は簡単だ。 知能が低い人たちにとって 学習は大変なものであり、 問題を解くというのは、知っている知識を適用することだ。 一方で知能が高い人たちにとって、 学習は簡単なことであり、 問題を解くというのは、知識を前提としてその応用を行うものだ。 彼らにとっての喜びは真新しく、斬新な問題を解くことであり、 かつての神童ルシファーも日能研の1%問題(1%以下しか解けなかった難問)を解く ことを楽しみにしていたと語っていた。 おれも似たようなもので、アルファという四谷大塚の難問集や中学への算数(当時はチャレンジ算数 という名前だった)を娯楽として解いていた。 麻布中学を志望したのも、問題が面白いからである。
だから、脳に障害がある人たちは中学受験は難化してると言い、 脳がまともな人間は中学受験は易化してると言う。 噛み合うはずがないのだ。 三角関数は社会で役立つのかという議論が噛み合わないのも似たような構図がある。
しかし、問いを「中学受験は不毛になっているか」に変えれば、 多くの人はYESと答えるのではないだろうか。 というのは、中学受験の算数のテクニックだとかは はっきり言って覚えても無意味だし、理科や社会に関しても、 極端に細かい知識を覚えたとて、それが何なのだというのは誰しも 納得することであろう。
覚えることが多くなれば、 平凡な障害者たちにとって中学受験は教育虐待性が高まっていくし、 知能が高い子たちにとっても、結局のところ勝負は 基本知識を身に着けた上で最後は地頭勝負という形になる点においては 今も昔も変わりないのだから、基本知識は少ない方がむしろいい。 だから、どんどん不毛になっているということは事実だ。
しかし、中学受験は易化している。 特に高偏差値帯においては子供の数が減っているのに 学校の数ばかり増えているので、ことさら簡単になっていることだろう。
もう、中学受験なんかやめて詰碁で合否を決めたらどうだろうか。 その方がよっぽど意味があると思う。