大臼歯が破壊され、人生は破壊された

私の左下大臼歯はインプラントである。 なぜインプラントになったか?歯根破折を起こしたからである。 なぜ歯根破折を起こしたか?それは、10歳やそこらの時、根管治療をされたからである。

この時のことをよく覚えている。

麻酔はあまり効いておらず、私は痛みで暴れていたが、それを押さえつけられ、 タービンで歯を大きく削られ、リーマーという器具で生きてる根をほじくりだされた。 それによって、私の歯は「殺された」。

これを治療だと私は考えていない。まぎれもなく破壊であった。

なぜか?私は当時、他の歯はどれも悪くなかった。それどこから中学・高校と上がるまで それ以外の歯は虫歯になりすらしなかったのだ。 しかし、なぜか、左下大臼歯だけ悪いことにされて、壊された。

ふつうの頭をしていれば、この時点で何か誤りがあることに気づくはずである。 実際に、それは誤りであったといえる根拠が私にはある。 そしてそれは、後になってわかることであり、私と家族の間にも共有されていることであるが、 これについてここで詳しく言及することはしない。 ただ、誤診であった可能性が極めて高いということは言えるのだ。

大臼歯を破壊されたことによって私の人生は狂い始めた。 もともと猛烈にポテンシャルが高かったので、麻布中学には合格出来た。 しかしあれも、私にとっては100のうち30の力を出したに過ぎない。 それから年月が経ち、大臼歯を破壊されたことによって引き起こされる健康被害が大きくなっていき、 私の能力は100のうち10も発揮出来なくなっていった。

大臼歯の破壊と健康被害がどう強く結びつくのかは傍からみるとよくわからないかも知れないが、 私にはそれをきちんと説明出来る根拠がある。 しかしこれもやはり、私と家族の中には共有されているものの、公にすべきことではないため ここでは詳しく言及することは留める。 ただ、いくらかの相関があること自体は、納得していただけるだろうとは思う。

記憶力もない。思考力もない。生きてる意味はもうないのではないかと何度も思った。

そして大学受験はあのザマである。

大学に入学後は、特に留年をするだとかそういうことはなかったし 大学院にも行けたのだが、 それもものすごく能力を制限された中で、 自分のプライドだけを頼りに 死にものぐるいで努力した結果であり、 私からすると劣った結果である。

歯が折れたことがわかったとき、 私は母親を問い詰めた。 しかし、「私なりには努力した」というだけであり、 罪を認めようとはしなかった。 こうして私は、母親をLINEでブロックすることとした。

努力に価値はない。 結果がすべてである。 自明なミスを冒し、自分の子供の人生を破壊した ことすらも省みることが出来ない人間なのだと知り、 当時はそれ以上会話することを拒んだ。

また、自明なミスを冒した場合、 それがわざとであることを判別がつかない。 わざとであるとすると、虐待を受けていたのと何が違うのだろうか?

もし、大臼歯を破壊していなかったら、 さらにもし、幼少期に歯列の一次矯正を行っていたら、 私の人生はこうはならなかった。 実際に、歯の問題が理由となり、逃してしまったチャンスはたくさんある。 もし、歯がまともであったらと思うと、 それと比較して今の人生に生きる価値があるだろうかと疑問に思うことがよくある。

もう無職になって一年と一ヶ月が経つ。 私はもう這い上がることは出来ないだろうと思う。 それは、単に私の能力が劣っているからであり、 大臼歯の破壊によって貶められた その低いポテンシャルの中でなんとか人並みになろうという 努力をすることに虚しさを覚えているからである。 どうせ、本来の自分として生きることが出来ないなら、 その人生に何の意味がある?

私は、自死すべきだ。 しかし、怖いのは嫌だ。 何の苦しみもなく、死ぬことが楽しいと思えるような形で 自身の人生を終わらせたい。 例えば、ゲームをしていて、敵にAKで頭を撃たれたと思ったら 本当に撃たれていたという死に方なら、何の怖さもないだろう。

堕ちていった先でいずれ、 他人の命を奪ってしまうことがあるんじゃないかとも思っている。 そうなる前に自死するのが、きっと正しいのだろうと思う。

ある日突然私がこの世からいなくなった場合、 こういう事情があったということだけは覚えておいてもらいたい。


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