おれの父親は脳の癌で死んだ。

おれの父親は脳の癌で死んだ。

プライベートなことでありセンシティブなことでもあるので、 あまり話したくない意味はあったが、 おれの人生観にも関わっていることだし、 他人がこの話から学べることもあると思うので、書くことにした。

読んだ人が、この文章から何かを感じ、 今後の人生に生かすことが出来れば幸いに思う。

父親が死ぬまで

おれの父親はこんな人間だった

おれの父親は少し変わった人だった。

家族で歩いていたはずなのに、 興味があることが見つかって 突然どこかにいなくなってしまったり、 母親に言われた買い物が正しく出来なかったり、 おれが麻布高校の運動会でリレーを走った時は、 それまでにビデオカメラの電池を全部使い切ってしまい、 肝心のところが撮れていないという失態を犯し、 母親に叱られていたこともあった。

料理は全く出来なかった。一度、母親がいない時に 焼きそばを作ったことがあったが、油がコテコテで 激まずだった。 運動もだめらしく、 高校の時にバスケ部だったといっていたが、 親子大会のようなものでレイアップシュートを見てみるとぎこちなくて、 とても経験者には見えなかった。

アスペかどうかは知らないが、その傾向は確かにあった。

顔に関しては、若い時の写真を見ると、 おれとあまり見分けがつかないくらいおれに似ていた。

違ったのは、結婚して子供がいることと、 それなりに会社員として勤め上げたこと。

エンジニアだった。

休日になると、 ロボット工作をしたりしてた。 机にはメモ帳が散らかり、数式や図面が書かれていた。 スターウォーズが好きらしく、 休日になるとベータに録画してあるスターウォーズを かりんとうをぽりぽり食べながら見てることが多かった。 100回くらいは見ていたんじゃないかと思う。

おれが京大の電気電子工学科に入ったのは、ロボット工学者になるため だと思っていたようだ。 日立でストレージのソフトウェアを作っていると言った時には、 SCSIという単語は知ってるものの、どうもピンと来ないらしく混乱していたが、 最終的には「あきらがそう言うのであれば今はそういうことが出来るんだろう」ということで納得していた。

会社で働くのは必ずしも合ってるわけではなかっただろう。 ストレスからか、おれが子供の頃から酒飲みだった。 決して高くはない給料のことを 母親からぐちぐち言われることも気に食わなかったと思う。 おれからすると、会社に勤めて子供二人を育てあげただけで十分と思うのだが。

おれが高校くらいの時にはかなりアル中の症状は進んでいて、 ふざけてるのか本当に壊れてるのかわからないと思うことは時々あった。

かりんとうの食べすぎからか、 糖尿病にもなっていて、糖尿病は内蔵の癌の罹患率を高めるとは言われているが、 脳癌との関連はよくわからない。 しかし、糖尿病も併発したことにより、看病は困難を極めたようだ。

彼自身、 尊敬する自分の父親(つまりおじいちゃん。社長をしていた)は60くらいの時に出張中に心臓発作で突然死してるし、 母親(つまりおばあちゃん)はそのショックから突然ボケてしまい、最終的には老人ホームで死んだ。 このこともショックだったようだ。 おれが最後に会った時には、おれを父親と間違えるほどだった。

おばあちゃんの葬式のあと、食事をしている時に喪主として何か言う (お集まりいただきありがとうございますみたいなこと) はずだったのだが、 覚えていたことを完全に忘れてしまったらしく、 「もうこんな悲しいことは起こってほしくない」 と言う本音だけを述べて、参加者はポカーンとしていた。 母親はブチ切れていたが、おれは「まぁこんなもんだろう」と思っていた。

脳の癌が発見された経緯

おれが日立を辞めて、次の会社での仕事をはじめた頃、 一度実家に帰ったことがある。 その時、母親が父親のアル中を治療したいというので、 おれが念の為、脳が今どうなっているかということをチェックした方が良いとアドバイスした。 確信があったわけではないが、アル中の治療をするにしても、 脳の病気である可能性を消した上ですべきだと思ったからだ。

病院で検査した結果、 父親の脳は、神経膠芽腫(Glioblastoma) のステージ4に冒されていることがわかった。

これがどの程度最悪かというと、2019年現代の医学でも治療のしようがないと言われている。 色々と治療法の研究は進められているが、生存率が全く上がらない領域のようだ。 遺伝子治療などの研究が進むと、今後はどうなるはわからない。 治療法が見つかることを期待したい。

発見が遅れたかというと、それはよくわからない。 なぜかというと、この病気は進行がめちゃくちゃ速いからだ。 週ごとに症状が悪化していくと言われている。 実際に、父親はこの時を境に、急激に症状が悪化していった。

この病気の悪いところは、癌が脳に浸潤していくということだ。 従って、腫瘍と正常な組織との境界がなくなってしまう。 つまり、腫瘍だけを取り除くことは不可能であり、 広く浸潤している場合は、脳の大半を取り除くことになる。 もちろんそれでは患者が死んでしまうから、 患者が死なない程度に取り除くということになる。 つまり全摘が極めて難しい。

医師の説明によると、 余命は6ヶ月だと言われた。 それにしても、手術をして、放射線治療も化学治療も行い、 最大限に延命をした上でその程度だということだった。

脳腫瘍の中では最も悪く、すべての悪性腫瘍と比べても最悪の部類に入る。1年生存率は51.6%、3年生存率は13.1%、5年生存率は7.8%である。

wiki

遺伝性ではないらしいが、原因もよくわからず、 偶発的にこんな恐ろしい病気が発症すると、現在のところ言われている。

2018年現在、神経膠腫の原因は明らかになっていません。たとえば、神経膠腫の発症に、遺伝はほぼ関連していないといわれています。喫煙などの生活環境因子との関連も認められておらず、原因が解明されていない点は特徴でしょう。

神経膠腫(グリオーマ)とは?

検査をした段階で父親がどういう状況だったかは知らない。 しかし、病室にかけつけた時には父親はほとんど話が出来ない状態だった。 腫瘍が急激に増大することによって脳内の圧力が上がり、意識が混濁していた。

当たり前だが、 手術をしても治りはしなかった。 手術の目的は、腫瘍を取り除き、脳内の圧力を下げ、 QOLを改善することであって、決して病気を完治させることではなかった。 いわば、残される側の心の整理の期間を作るための手術だった。

手術のあと、脳の腫れが減り、少しだけ話せるようにはなった。 薬が効いたというのもあるだろう。 多少話せたり、車椅子に座ってならどこかに行ける時期は長く続き、 最後には鎌倉かどこかの高級レストランに家族で食事しにいくことも出来た。 やっかいな客なので、 ふつうなら拒否したいところだろうけど、特別に配慮してくれたことに感謝したい。

父親の死

余命は半年と言われたのだが、 余生を少しでも有意義に過ごす目的で自宅療養に切り替えてからは 母親の完全な看病に応えるように気合を見せ、 結局 1年半ほどサバイブした。 使っていた薬(テモダールとアバスチン) との兼ね合いで糖尿病のコントロールが難しくなるとかいう最悪の状況だったが、 豆乳で作った食事を中心になんとか食わせていたらしい。

その甲斐あってか、最後には、弟の子供も生まれ、初孫を抱くことも成し遂げた。 最悪の中では最良の結果ではなかったかと思う。 もし、検査をするのが一ヶ月遅れていたら、たぶん結果はこうはならなかった。 ある意味、奇跡といえるかもしれない。

それから、生きる目的を果たしたのか、 次第に弱っていき、 個室の中でたくさんのモニターをつけられて、 人工呼吸器をつけなければ生きていけなくなった。

そろそろ死ぬということはわかったから、 おれは最後と思い、一人でお別れをしにいった。 「さようなら」と言うと、 父親は最後の別れを悲しんだのか、 少しだけ涙を流していた。

そしてまもなくして、死んだ。

遺灰の中には、手術の時に埋め込んだ チタンプレートが残っていた。 葬儀屋に「これはどうしますか」と言われたが、 父親が戦った証として、骨壷の中に入れてもらった。

父親の死から学んだこと

父親の死は、おれの人生観に対して大きな影響を与えた。 それを共有したい。

人生は突然終わることがある

「明日死んでも後悔のない生き方をしなさい」 という言葉を聞いて、そうしようと思う人はいない。 心の底では、明日死ぬことなんかありえないと思っているからだ。

しかしおれは、父親が突然脳が壊れ、ロクに会話も出来なくなり、 長年積み上げてきたであろうエンジニアとしての技術も知識もすべてが 一瞬で失われたという現実を目の前で見て学ぶことが出来た。

おれも、いつどうなるかわからない。 脳の病気に冒されるかも知れないし、他の病気で突然死ぬかも知れない。

それから、 自分が好きなように後悔のないように生きるべきだと強く思うようになった。

もしこの記事を読んで感じることがあれば、 あなたも全力で生きるべきだ。

父親が脳癌に冒されて、やがて死ぬとわかった時、おれは泣いた。 今でも、たまに思い出して泣くことがある。 しかし、それは父親と別れて寂しいと思うからではなく、 ようやく仕事がおわり、 これから老後を生きていくかと思っていた矢先に、 突如人生が奪われてしまった父親は無念であろうと思うからだ。 アル中だったこともあり、決して良い父親だったとは思わないが、 それにしてもあまりにも不憫だ。

糖尿病は悪である

糖尿病と、脳癌の因果関係があるのかは知らないが、 父親の一例をもって、 おれの中ではあることになった。 というかないことにすると、 父親の死が無駄になるからあると考えることにしている。

PET検査という癌の検査の基本原理は、癌がブドウ糖を好むという性質を利用する点にある。 従って、当然、糖を多量に取り続ければ、それだけ癌に栄養を与え続けることになる。 これより、糖を摂取しまくることは悪だといえる。 であればその結果発症する糖尿病も、悪だ。

糖尿病とがんの密接な関係

だからおれは、太ってる人間を軽蔑するし、 今は貧しくとも糖質だけで腹を満たすということはせず、 プロテインを多めにとるという食生活を徹底している。

いくら健康に気をつけても、 病気になってしまう場合はあるだろうが、 その時に、自分の食生活を後悔するのだけは嫌だ。

だからおれは徹底しているし、徹底できないやつは悪だと思っている。

安楽死は必要

初孫を抱いたあと、おれの父親はずっと個室で 人工呼吸器をつけながら生きていた。 実はこの費用はバカにならなかった。

個室の利用は、差額ベッド代といって、 保険が効かない。 高額医療費制度の対象にもならない。 従って、実費で毎日費用が飛んでいくことになる。

実はこの間、おれの実家は、もらっていた障害年金では賄えず、かなりの赤字だった。 実際、万が一あと一年生きていたら貯金を食いつぶしていたらしい。

おれは、 余命6ヶ月というところを1年半も生きて、 初孫も抱けて、最悪の中では最良の結果を得たと思っていたし、 最後の方は、母親の今後のことも考えて、父親が死ぬことの方が良いと思うこともあった。 もし、安楽死が出来るのであれば、おれはそれにサインしたと思う。

それは、様々な機器をつけられて、 無理やり生かされている姿を見て、 とても幸せだとは思えなかったというのもある。

おれは結婚しない

自分の老後の面倒を見てもらうために 結婚をするという人がいる。

しかし、母親が父親を看病する姿を見ると、 とても自分がその目的で結婚したいとは思えなかった。 本気でそんなことを言ってる人間は、 リアルを知るべきだと思う。

神経膠芽腫に限らず、一発で 要介護となる病気というのは他にも存在する。

おれはその時に誰にも迷惑をかけずひっそりと死にたい。

悔やまれること

スターウォーズのEP7を見せてやりたかった

おれの父親はスターウォーズの大ファンだと話した。 ちょうどその頃、EP7がそろそろ出るという時期だった。 もちろん、父親が映画館に行ってスターウォーズを見るというのは現実的ではない。

おれはルーカスフィルムに手紙を送ろうと思った。

「自分の父親はスターウォーズの大ファンで、今脳癌に冒されている。 このまま生きてる間に上映されても映画館に行くことは出来ない。 EP7のことは楽しみにしてるだろうから、ぜひ見せてやりたい。 見終わったあとにDVDは必ず破壊するから、送ってほしい」

そのような手紙を書こうかと思った。 実際に、病魔に冒された子供などが同様の訴えをして聞き入れられたケースというのは 存在するから、可能性はゼロではなかった。

ただ、きっと無理だろうと思って手紙を送るのを諦めてしまった。 ちゃんと送れば良かったと後悔している。

もし似たような状況になった場合は、 迷わずに行動してほしい。

おれが社会に適合出来ず、これから自殺すること

父親は決して無能なエンジニアではなかったと思う。 しかし、昭和の時代は今より、エンジニアが報われない時代だった。 父親は、きっと悔しかったと思う。

おれの使命は、 自らがエンジニアとして高給取りになり、 父親の無念を晴らすことだった。

しかしそれは叶わなかった。 強く適合することを求められるこの社会において、 おれが生きられる場所はない。

おれはこれから二年か三年もすれば貯金は尽き、 自殺することになる。 使命を果たすことが出来ず、 本当に申し訳ないと思っている。


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