中学受験御三家レベルのみなさんが卒業後の人間関係で気をつけるべきこと

この記事の目的

中学受験御三家レベルのトップ校に通っている、あるいは卒業してこれから社会に出ようとしているみなさんが読んでほしいと思って書いている。というのも、あなた方の中には以前のおれのように社会に出てから人間関係で悩む人も多いと思うからだ。この文書はその時に、何かしらの解決法になるのではないかと思って共有するものである。

それは、具体的に、人間関係の選び方についてである。あるいは現代においては、人間関係の多くはネット上の関係になりがちだから、ネット上のと言い換えてもいいかもしれない。

これから御三家を目指す家庭の親御さんにとっても、参考になるかと思う。

あなた方はマイノリティだと理解せよ

まず事実として、みなさんは

  • 中学以降、公立の教育を受けていない
  • ものすごく頭がいい
  • 自分と同等に頭の良い人間、育ちの良い人間としか付き合っていない

という性質を共有している。

「二月の勝者」という中学受験を題材とした超人気漫画に

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という一コマがある。努力でたどり着けるのは偏差値55くらいまでで、55と60の間には才能の断絶があるという話だ。これは、中学受験をしたことがある人ならば理解出来ると思う。

これは良いことであるように見えるかも知れないが、社会に出た時にとてつもなく悪く働く可能性がある。というのも、社会に出ると、あなた方以外の人の方が遥かにマジョリティだからだ。あなた方はマイノリティであることを「正しく」理解する必要がある。彼らは、あなた方とは全く違う行動原理を持っている。これが問題を起こす。

会社などでは選考段階でそれなりに選別が効くし、大学などでも多くの場合はそうなる。それでも、麻布高校から比べるといくらか劣るという感覚があるものだが、許容範囲内なのだ。日立製作所の同期は全員が大学院卒以上だし、ある程度のレベルでは価値観を共有しているし、話せば理解しあえる。おれはその後転職を重ねたが、やはりどの職場でも同じような状況になった。

問題は、その外の人間である。彼らは上記の三点について真逆なのだ。これだけで相容れないという主張をするには十分だが、決定的に問題となる点は彼らが「能力は皆平等である」と本気で信じている点である。東大や京大に行った人を「ただ勉強をがんばっただけ」という人がいるし、それどころか頭でっかちとバカにする人もいる。

おれは外の人間からリスペクトの欠如を感じることがある。彼らの周りにはそういう人間がいなかったから、どれだけ差があるものなのか想像出来ないのだ。しかし勘違いしてほしくないのは、別にリスペクトしろというわけではない。したくないとかする意味がわからないならしなくてもよい。しかしそもそも前提が、価値観が違っていると、話し合いにならないことは事実だ。びっくりすると思うが、麻布高校を知らない人間もいる。生きてきた世界が全く違うのだ。

人間関係はオプトインで考えろ

我々のような人間にとってもっとも向いていないことは人気商売である。というのも、人気商売というのは、出来るだけ多くの人と共感し合えることが前提となるのだが、残念ながら我々は知能的に、そうはならない。我々が面白いと思うことは彼らにとっては面白くないことが多いし、逆もしかりだ。よく、IQが20違うと話が合わないという話があるが、それ以前の問題として文化が違う問題もある。

マジョリティの人たちの人間関係というのは基本的に、オプトアウトである。オプトアウトというのは、まずは全員を受け入れて、その中でだめなやつを弾くという考え方である。人気商売ではこの考え方が必須となる。とにかく多くの人気を集める必要があるから、まずは一旦全員受け入れる。その上でだめなやつは残念だけどお断りするという態度をとる。なぜこうなるかというと、それが彼らにとって自然に受け容れられることだからというのと、そもそも教育段階でそうすべきと刷り込まれているからだ。公立教育というものはそういうものである。

しかしあなた方がこれをやるととんでもないことになる。多くの人はあなたがやってることを面白いと思わないどころか、理解が出来なくて不快だと思うことがある。そもそも相手にしていないだけなのに見下していると言われて攻撃されることもある。これだけでも損しているのだ。マジョリティの人は、異物の存在を許さない。彼らにとって異物は病原体であり、殺すまで追い込むべき対象である。

だから、あなた方がとるべき戦略はオプト「イン」である。自分の基準に適う人間だけと親しくして、それ以外は完全に無視しないといけない。自分の価値がわからないやつとは付き合う必要がない、それどころか他の人間は自分と付き合うために努力すべきである。そう考えてよい。王様は、誰かに好かれようとはしない。二月の勝者のみなさんは、王様のように振る舞っていてそれでよいのだ。むしろそうしないと、先に述べたように問題を起こす。

おれがツイッターやLINEでブロックしている人は大量にいるわけだが、その中には「おれからブロックされているがその理由がわからない」という人がいる。これは彼らがオプトアウトの世界で生きているから思うことだ。そもそも人間は人間をデフォルトで受け入れるものだと思っているから、ブロックされている理由を必要とする。しかし考え方が逆である。あなた方はデフォルトでブロックされている。その中でおれに許された人間だけが、ブロックを外されて受け入れられているだけなのだ。あなたは依然としてマジョリティだからどうぞ安心してほしい。腹を立てないでほしい。お願いだから成仏してほしい。

こういう人間関係を選択すると、生き方が狭められてしまうと思うかも知れないが、鋭い。全くそのとおりである。しかし実際にはそれほど問題とならない。というのも、人間関係を絞ることによって得られるメリットも多いし、労働市場などというのは相手から見ても結局オプトインだからだ。あなたは毅然とした態度で、自分の能力を活かすことだけに集中していればいい。煩わしい人間関係に悩まされず、自分の好きなことを追求して、それが社会に認められないなら死ねばいい。それだけのことだ。よく、人間は平等だといわれる。これに対して人間は能力が平等でないとして否定する人がいるが、それは考え方が間違っている。人間は平等である。能力が高ければそれなりの生き方しか出来ないし、低ければそれなりの生き方しか出来ないからだ。

たぶん、オプトインの考え方に納得がいかない人がいるとすると、頭の良さというのが大は小を兼ねると思い込んでいるからだと思う。これは間違いなく偏差値教育の弊害だ。確かに、偏差値というのは50より60の方が単純によい。受験においては、60をとれる人間がわざわざ50をとる理由というのは存在しない。しかし社会はそう簡単ではない。むしろ少なくとも表面的には、偏差値50の方が生きやすく作られているのだ。その社会の中にあって、我々は言葉を選ばずにいうと、障害者である。であるがゆえに生き方が制限されると考えれば納得が行く。その上で、高い知能を活かしてなんらかの社会貢献をする道が残されているだけなのだ。またしても、考え方が逆なのだ。

だから、芸能人や人気ユーチューバーになることは諦めなさい。そもそも人間関係などというのはそもそも真の意味では希薄なものだ。志村けんが死んだ時、本当に悲しんでいた人はお兄さんだけだった。その他にも、悲しんで泣いている人はいたかも知れないが、多くは泣かないと辻褄が合わないから泣いている人か、それどころか志村けんが死んでラッキーと思っていた人だって多くいたはずだ。芸能人というのはつくづく、虚しい仕事だなと思う。

なぜこんな話をしたか

おれは、今35歳になったのだが、今の今までこの真実に気づけなかった。もっと頭が良ければ、もっと早く気づくことが出来たかも知れないが自分には無理だった。それ故に、苦しんでいた時期がある。しかし、一度真実に気づいてしまうと生きることが楽になった。

どう気づいたかというと、なにかしらのきっかけで一度ブロックした人をまたなにかしらのきっかけでブロックを解いたとしてもやはりまたブロックすることになってしまうから、あれーおかしいなーと気づいたのだ。もしかしたら本質的に彼らとの間には断絶があって、友好な関係を気づくことが不可能なのではないかという仮説を立て、思考してみた結果、上のような考えに至ったのだ。

別におれはあなた方に対してこの考え方を徹底して生きろと強いるつもりはないけど、きっとあなた方のうち何割かは同じように人間関係で悩む時期が来るだろうし、その時に山ほどの人生啓発本を読み、何が問題なのか探ろうとするんだけど、結局解決しない人も出てくる。実際におれがそうだったのだ。そういう人向けに、そうした本のうち一冊となるべく、おれなりの結論を示すことには意味があると思った。それだけのことである。勇気の要る生き方かも知れないけど、あなた方には我々には、その資格がある。


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