貧困生活を経験してわかったこと「時間は平等。生きることが最高の贅沢」

無職生活がそろそろ1年になろうとしている。貯金は確実に減っていき、少し焦ることもある。しかし、減っていく貯金残高は、おれにとても大事なことを教えてくれている。

それは、自分は実は贅沢は望んでないということだ。自分は最低限、健康であり、ネットが繋がっていて、ジムに行けて、プロテインやサプリが飲めるならば、それで十分。何かおいしいものを食べる必要はないし、映画も見る必要もない。彼女もいらない。結婚もしなくていい。ただ、健康に生きていて、競技プログラミングや囲碁のような頭の体操を楽しめて、ネットでゲームをして、それで十分だ。たくさんの給与が入っていた時の自分がいかに贅沢で、いかに意味のないことをしていたかを思い知った。

今は出来るだけ貯金を減らさないため、家賃の他は10万円くらいの生活をしている。食費も切り詰めている。おれはアイスコーヒーを飲むが、1リットルで300円も400円もするようなパックのを買う必要はなく、100円ので十分だと知った。少しおいしくないとは思うが、仮にそれがおいしかったとして、一体どれだけ幸せが増すだろうか。鶏肉を食べる時も、ひとパック800円もするようなものを買う必要はない。外国産のものであれば、400円で買うことが出来る。味付けも、塩だけで十分に食えることがわかった。100円の粉を買う必要がない。そもそも鶏肉なんか食わずとも、ゆで卵でよくないか?サプリも、よく考えるとプロテインとマルチビタミンとグルタミンとBCAAがあれば、まぁ十分だと思う。あとは脳のためには魚油があり、ビタミンCやDがあればなお良いという感じだろう。前みたいに色々なサプリを飲む必要はないことに気づいた。これらははっきり言って全体からすると些細なことでしかないが、それでも、自分にとって最低限のラインを実感出来たということに価値がある。

生殖というのは、原始時代にも人間がしていたことである。動物でも出来る。より根源的だからより尊いのだという人がいるかも知れないが、おれの考えは、だから現代では価値が落ちていて、するやつは馬鹿だ、である。現代には、ネットがあり、家族がいなくても孤独を感じることはないし、子供を作って家族を養っていくために、色々な縛りを受けるのはバカバカしいという考えはもともとあったが、今この生活をこれから10年20年と続けていればおれは幸せだなと感じてしまった今、仮に今後お金が増えたとしても結婚は絶対にしないと断言出来るようになった。誰が結婚しようが子供を作ろうと自由だが、おれはそいつらのことを、よっぽど余裕のある金持ちでなければただのバカなんだと思う。

現代人は、ネットがあって、生きていれば十分に幸せだと思う。それ以上の幸せを貪る必要はない。ネットがあれば色々な情報にアクセス出来るし、たくさんのことを学ぶことが出来る。もし、100年前の人にネットを見せたら、発狂するほど喜んだに違いない。当時世界一の富豪に、スマホを一時間百万円で使わせてやると言ったら、きっと払っただろう。おれたちはデフォルトでそういう幸せを得てしまっている。生きていれば、テクノロジーは発達していって、社会はどんどん便利になっていき、それだけで幸せを感じることが出来る。とある高齢の研究者が、自分は技術的特異点を生きて見ることは出来ないのが残念だと言っていたことを思い出す。時間ほど尊いものはない。明石家さんまが「生きてるだけでまるもうけ」と言ったことの真意はよくわからないが、全くそのとおりだと思う。

この時間というものは、どれだけ成功していようが、どれだけお金があろうが得るものは出来なくて、誰しもに平等に配られている。そして、その時間を持っていること自体が、現代においてはもっとも価値のあることであり、それで十分なのだ。

今のおれの望みは、この生活を10年でも20年でも続けることだ。もしかしたら東京に住めなくなるかも知れないが、それでも構わない。とにかく、生きて、時間を満喫することが最高の幸せだから、いつまでもこの生活を楽しみたい。と、今は考えている。人間がおれみたいなやつばかりだったら、人類は速攻で滅びるけど。

朝起きたらグルタミンを飲む健康法は本当に尊いです。


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