開成中学の奨学金について思うこと。中学受験の課金ゲー化

開成中学が低所得世帯の子供に対して授業料免除の奨学金を出すということで、大変盛り上がっているようなので、

開成や麻布などのトップクラスの難関校に入る子供たちは今も昔も地頭はいい。ただ、地頭がよいだけでは受験には勝てない。2000年代までは、地頭がいいのに加えて、勉強が好きだったり、自制心が強かったりして、自ら机に向かって学習する性格でないと、難関校には受からなかった。大切なのは塾での予習や復習であり、自学自習できる受験生たちが“二月の勝者”になっていった。

私の出身校の麻布中学も同じような問題がありそうということもあり、 私の考えを述べようと思う。

なぜ開成中学は奨学金を出すのか?

開成中学が奨学金を出す理由はこういうことである。

以前から、開成のようなトップ校に入るためには塾に通うこと自体は事実上必須であった。 それでも、子供に自学自習の精神がない場合というのはどうしようもなかった。 従って、開成や麻布といったトップ校は自動的に、地頭が良く、しかも自分の頭で考えて行動出来る才能を 囲うことが出来た。 だから、トップ校はどこも、校風が自由な傾向がある。 ほっといても自分で考えて自分で行動するからだ。

京大は「自由の学風」なのか?「自由な学風」なのか?京大卒が語る

私にしても、地元の塾には通っていたがそれだけで、 どちらかというと、遊び放題遊んで、それでも成績が上がってしまったから 麻布に行くことにしたという感じだった。

私の中学受験についてはシリーズを書いたから、ぜひ読んでほしい。

25年目の麻布中学合格体験記

しかし、現代では、やる気のない子供にも、金を出せば勉強をさせてしまう仕組みが出来た。 塾に加えて有能なメンタリスト家庭教師をつけるとか、 私がした25年前の中学受験でも決して、お金の問題は少なくはなかったが、 今はその時よりも、課金要素が強まっているということだ。

これは、格差が広まったことと、子供が減ったということも影響していると思う。 悪い言い方をすれば、ふつうの遺伝子を持った子供でも、金持ちの家に生まれれば、 参加者が減った中学受験の中では、トップ校に合格出来てしまう可能性が生まれたということだ。

開成は、当然そういう雑魚は求めていない。 むしろ、貧しい家庭に生まれても、圧倒的な才能を持ってして生まれ、奨学金で中学受験の塾に行き、 あとは自学自習で合格するような子がほしい。 私の同級生にも6年生まで将棋をやってたが、そこから勉強して合格したという子がいた。 ようするに、そういう子がほしいのだ。

これは何も大学受験の合格数を稼ぐためではなく、むしろ開成のような学校にとってはそれは 結果の一つでしかない。単純に、真に頭の良い子がほしいのだ。なぜならば、それが開成だからだ。

この奨学金の意味

中学受験の課金ゲーに対する問題提起

中堅校では、奨学金を出すというのはよくあることだ。 これは、もともともっと良い中学に行ける子を金で買収しようという目論見がある。

しかし開成の奨学金は、これとは意味が違う。 開成の奨学金は、むしろ、雑種の排除を目的としており、 現代の中学受験が課金ゲー化しているという側面に対する 問題提起の意味があるからだ。

家庭によっては、開成に入れるためだったら 一億円積んでも惜しくないというところもあるだろう。 しかし、そういう子供は「要らん」と言ってるのだ。

少子化が進み、格差が進み、今後、中学受験がより一層課金ゲー化していくことが 明白な中、大変インパクトのある主張であるように私は思う。 実際に、多くの人が、中学受験の関係者・非関係者に関わらず反応しているのだ。

高校の奨学金とは意味合いが違う

開成ではもともと、高校受験については2015年から奨学金を出しているが、 これと今回の奨学金とは意味合いが違う。

高校受験においては、昨今、国公立の第二志望扱いされることもあった。 他に高校の募集を行っているトップ校では、開成の他、灘もあるが、 やはりこれらの学校に行くのは中学受験をして、 思春期の中学3年間をその環境で過ごすというのが一番の冥利であり、 ただの進学率が良い学校と見るのであれば、 すでに高校受験で開成や灘に行ける状態にある以上、 別にそれらの学校に行く意味はあまりないのだ。

これが、多くの学校で高校からの募集を行わない理由でもある。 中学から6年通してその学校で過ごすことに意味がないと考えられているのだ。

実際に、私の出身の麻布高校が高校から募集を行ったら、 私は彼らを麻布生とは呼ばないと思う。 たぶん、雑種と呼ぶと思う。

むしろ国が奨学金を出すべき

そもそも論だが、私は優秀な子供に対しては国がお金を出すべきだと思っている。

私も、この奨学金の基準はさすがに満たさなかったが、それに準じるような貧しい家庭の子であった。 当時、父の会社が景気が悪く、収入がとても少なかった。 もし私が麻布中学に落ちて、塾代がすべて無駄になったら一家心中すらあり得た。

私立助成金という形で当時から国から多少の助成金は出ていた。 しかし、雀の涙程度であったと聞く。それがどの程度だったか具体的な額は知らないが、 あってもなくても大差ないレベルだったと想像する。

私の京大時代の友人に、これまた大変貧しい家庭のやつがいた。 彼は、授業料の半額免除とかの要件は満たしていたので、それは実際に助かっていたようだが、 それだけだった。

国を背負って立つような人材には、国は積極的に投資すべきだし、 私は東大や京大の学生には、年に1000万円くらいの奨学金を出す方が、 箸にも棒にもかからないゴミクズ私大の学生たちにちょろちょろと金をばらまくよりは よっぽど国にとって意味があると思う。

開成中学も同じである。

comments powered by Disqus
Built with Hugo
テーマ StackJimmy によって設計されています。