「旧帝大 or die」学歴思想の理由

東京一工以外は大学じゃない

ある学歴厨ユーチューブチャンネルで、 出演者が「東京一工以外は大学じゃない」

←言った。

これに対してコメント欄は主に、 「奇特な人」「残念な人」という空気であったが、 みなさんはどう思うだろうか。

世の中には様々な学歴思想がある。 幸福の科学の故大川隆法氏は 「東大と早慶以外、大学ではない。専門学校だ」 と言ったらしいし、 他にも、「東大以外は大学ではない」 という思想を持つ人は、関東(筑駒、開成など)や関西の進学校(灘、西大和など) ではよく見られる。

おれの学歴思想

おれはというと、2つの思想を持っている。

旧帝大 or die

1つ目は「旧帝大 or die」だ。 この旧帝大には、東京一工の他、 5旧帝大(北大、東北大、名大、阪大、九大) が含まれる。

なぜこのような思想に至ったかというと、 そもそもおれは麻布高校3年生の時、東工大を受験した (東工大4類で優秀な成績を収めるとMITとの交換留学があるという話だったため、志望した) のだが、この当時、理系では東大と東工大以外の大学を知らなかった。 他の大学に工学部があるということすら想像出来なかった。 正確にいえば京大なども知っていたとは言えるだろうが、 受験対象としては入っていなかった。 だから、この時点で概ね「東京一工 or die」の思想ではあったのだろうが、 そこから社会人生活を経て少しマイルドになり、そこに5旧帝大が追加された。 というのも、5旧帝大出身者は優秀な人間の割合が多いと感じたからだ。

一方で大川隆法のように早慶までは含めていないのは、早慶は無能な人間が多すぎると感じているからである。 これは当たり前で、早慶理工の入学者偏差値は概ね北大の工学部程度しかない (一般入試だけでこうなので、推薦を入れたらもっとひどいことになるであろう)。 となると平均的には微妙であり、むしろ北大の方が上の方は優秀&教育がいい分勝ることになる。

東大京大 or die

もう1つは「東大京大 or die」である。 これは自身、エンプティノーズという難病を抱えながら京大に合格した経験を踏まえると、 知能指数が平均的な100もあれば京大には合格出来るという感覚があり、 つまり京大にすら合格出来ないやつは努力不足の怠惰であり、 即死ぬべきという結論に至ったというわけである。 (おれは怠惰な人間の生命を許容しない。 なぜならば、自身が難病になり知能を潰された経験から、 何の病気にもなっていない人間は、彼らが病気になっていないから また別の誰かが病気になったというなんらかの保存則を考えれば、 病気になった人間の人生を背負うべきという考えであり、 仮にそのような人間が努力をしないのであれば、 例えば病死した長尾健太郎氏などにどう顔向け出来ようか、いや出来ない という考えだからである)

というわけでおれは、強めにいえば「東大京大 or die」、 控えめに言っても「旧帝大 or die」という思想なのだが、 みなさんの学歴はどうだろうか。

生きる価値を証明せよ

一見矛盾するようだが、おれは学歴が重要であるとは思っていない。 おれが重要と思っているのは努力である。 ある人が低学歴ということは直接的に、その人が怠惰であることを意味しており、 怠惰な人間は、努力したかったのに出来なかった人間のことを侮辱しているに等しいから 死ぬべきだと言っているに過ぎない。

そもそもだが、 大学受験をした上で旧帝大にすら行けない人間に生きる価値があるとはとても思えない。 生きる価値というのは勝ち取るものであり、与えられるものではない。 受験は、生きる価値があることを示すための戦いなのだ。

comments powered by Disqus
Built with Hugo
テーマ StackJimmy によって設計されています。