【東大理3】ルシファー、他己採点をする

ルシファーの自己採点はみんなでやろう

ルシファーは怖かった。

口では「今年は自信がある」「よく出来た」とは言っていても、 人生の半分にも渡るその重厚な受験経験が、いやな予感をよぎらせていた。

しかし一方で、自己採点をした方が得だということ自体を理解出来なかったわけではない。 そこでルシファーは奇妙なことをした。 Youtubeライブで自分の問題用紙を一枚ずつめくり、自己採点を視聴者に委ねたのだ。

医師国家試験の自己採点は、TECOMのサイトから解答を入力することで行うことが出来る。 多くの人が、ルシファーのために「他己採点」を行った。

採点結果は散々だった

採点結果は概ねこのように残酷なものだった。

  • 必修 157/200 (78.5%)
  • パンリン 195/300 (65.0%)

必修は絶対評価で80%が必要だから、この採点結果が正しいならば必修で足切り。 仮に割れ問(解答が2つにきれいに割れた場合、その問題は悪問と判断され除外されるルールがあるらしい)によって 足切りを逃れても、パンリンが例年70%が合否ラインだからこの点数だとかなり厳しい。 総合すると、「不合格でほぼ間違いない」というのが一般的な評価のようである。 競馬で例えるならば、4着馬の単勝馬券を持っていて、審議ランプがついていないのに 1−3着の降着を祈っているような状況だろう。

本人も、この結果を知って相当にショックだったのか。 ツイキャスで顔をくしゃくしゃにして悲しみを必死に表現しようとしていた。 涙も出ていなかったし、本当に悲しいなら一人で勝手に泣けよと思う。

まぁでも、結果が出るまでわからないというのはそのとおりだと思うので、 3月16日の合格発表(本番)を楽しみにしたいと思う。

得意なことを見つけよう

さて、仮に今回の国試が不合格だとして、彼はこれからどうするつもりなのであろうか? 大体において、彼の場合、医師免許をとったところで無意味だと思うのだが、なぜ彼は国試にこだわっているのだろうか? どうやらこれからも受け続けることをママファーが承認したらしいのだが、 パパファーも死に、家には自分を守ってくれる男性がいない状況で、Noと言えるわけがないだろう。

彼のようなタイプは興味のあることを見つけて、それに没頭しなければならない。 今目の前にあることがどんなに価値のあることだとしても、興味がないことであればやってもうまくはいかないからだ。 興味のないことでは、凡人以下の能力しか発揮出来なくなってしまう。 逆に、興味のあることにハマれば、凡人の100倍力を発揮する可能性すらある。

例えば、囲碁の依田名人は囲碁の天才だが、学校の成績はオール1だったため、自分は囲碁を失ったら どうやって生きていくのだろうかといつも不安だったと語っている。 彼はネクタイも締めることが出来ないし、ギャンブル依存症だったが、囲碁だけは天才だ。 脳梗塞を発症してもう囲碁が打てなくなるかと思いきや、囲碁の能力は残っていて、この前元世界一のイーチャンホを撃破した。 神に愛されている。

このようなタイプの人間にとって、ふつうの人生を全うするということはかなり難しいことだ。 だから、自分が興味のあることで生きていくか、あるいは死ぬかしか選択肢がない。 従って、このタイプの人間は死にたくないのであればどこかのタイミングで、 どうやって生きていこうということを本気で考えることが必要となる。 この選択を誤ると、この世界では生きていけなくなるからだ。 彼の場合、もし実家が裕福でなかったらもうすでに終わっている

おれも彼ほど極端ではないけど、同じようなタイプなので多少は理解がある。 おれはたまたまプログラミングに出会えて幸運だった。

ルシファーにとって不幸なことは、興味があることが試験そのものだったことだ。 結果として中学受験も大学受験も最難関に合格することが出来たわけだが、その先が続かなかった。 おれは、筑駒を退学したことも、筑駒に合格することには興味があったが、筑駒での学生生活自体には興味がなかったというのが 根本的な原因ではないかと思っている。 今、彼を見ていて思うことは、この人は医師国家試験に合格すること自体には興味があるけど、 医学には興味がないんだろうということだ。 これがアンバランスさを生んでいて、見ている分には面白いんだろう。

ふつうは逆だ。医学ないしは医師としての仕事に興味があり、 その要件として仕方ないから医師国家試験に合格するしかなく、めんどくせーなーと言いながらやるようなもんじゃないのか。 ライセンスというものはそういうものだ。

もう1つ思うことは、 この人は高速道路の上しか走れないんだろうということだ。 「この問題集をやれば成績が上がる」というA=>B型の思考しかないため、 ひたすら問題を解くことしか出来ないし、 合格体験記に使った問題集のリストがないことに怒ったりもする。 落ちた時「これだけがんばってるのにどうして受からないんだろう」と嘆くのもふつうの感覚ではあり得ない。

まともな人間は、成績を上げるためにはどうすればいいんだろうと考えるものだ。 高速道路を利用するにしても、その利用方法自体を考える。

きっと、中学受験も大学受験もこの思考で乗り切ってしまったのだろう。 こういった人間は、誰もやっていない道に踏み出すことは出来ない。 それが即、その人間の価値はないと言い切るものではないにしろ、 彼のようなタイプにとっては致命的だろうと思う。 研究の道に進まなかったのは、彼自身「新しいことには興味がない」 ということを知っていたからではないかとおれは考えている。

医者になるのは諦めるしかない

ルシファーよ、医者はもう諦めろ。 何度やってもどうせ受からないだろうし、 万が一受かったとしても医師としての未来はないことは明らかだ。 起業した時のハクをつけたいと思ってるのかも知れないが、それは東大医学部で十分だ。 筑駒をちゃんと卒業していたら、それこそ筑駒卒でも十分だった。

今からでも、自分の興味のあることを探して、 その中で生活していく道を探っていった方がいい。 そうでないと「大変なこと」になる。

東大医学部の友人や、いるのであれば筑駒の友人に相談するといいと思う。 友人がいないなら、一人で考えろ。頭がいいんだろ?

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