自己愛性人格障害者による名誉感情侵害訴訟に気をつけろ

名誉感情侵害とは

名誉毀損というのは知ってるだろう。では、名誉感情侵害というのはご存じだろうか。

おそらくこの2つは多くの人にとって同じようなものと捉えられているが、法的にはまるで異なる。 名誉毀損というのは、外部的名誉(その人が他人からどう見られているか)を傷つける行為であり、 それによって実害が出ているのであればそれを損害賠償請求するということになる。 よくあるのが、あの人は強姦をしたことがあるなどと広められた場合、それは外部的名誉を傷つけるから 名誉毀損ということになる。

当たり前だが、「あの人」というのが明らかでない場合には名誉毀損は成立しない。 これを同定可能性という。 また、これは少し意外かも知れないが、それが本当のことであっても名誉毀損は成立する。 しかし公益性がある場合など(例えば、政治家を糾弾する場合など)は免責されたりする。

一方、名誉感情侵害というのは内部的名誉を傷つける行為である。 つまり、その人が自分のことをどう思ってるかを傷つけられた場合、名誉感情侵害を訴えることが出来る。

これって、めちゃくちゃだとは思わないだろうか。 ある言葉に対して傷つくかどうかはその人の自由(さじ加減)だからだ。 だから名誉感情侵害というものがあると、ある特定の人に関して何かいうことは 理論上すべて訴訟リスクを抱えることになる。

ただ、実際にはそんなことは起こらない。 多くの人は頭がまともであり、 あの人は顔がきもいだとか、 低学歴だから馬鹿だとか 言われたところで腹を立てたりはしない。 なぜならば、まともな人間はそれこそ揺るぎない内部的名誉をそのまともな人生の中で構築しており、 少しくらい悪口を言われたところでそれが傷つくようなことはないからだ。

ちょっと悪口を言われたところで傷つくようなしょぼい内部的名誉しかない ゴミ人間の方が名誉感情侵害を訴えやすいというのはなかなか皮肉なことだ。 我々はこのようなしょぼい人間のせいで、 他人から名誉感情侵害で訴えられることを恐れて生きなければならないのだ。

自己愛性人格障害者というクズ

ではそのような人間の典型例はどのような人間かというと、 それは、自己愛性人格障害の人間である。 自己愛性人格障害者は、自分を特別な人間だと信じているが故、 他人からの批判には弱いという側面がある。

自分は天才だ、特別な人間だと日頃より言いふらしていれば、 危険人物としてそれを避けることは容易だが、 問題は隠れ型と言われる自己愛性人格障害者の存在である。 このタイプのクズは、内心では自分を特別な存在であると信じているが、 それを表に出すことはしない。むしろ隠そうとする。 しかし内心では自分を特別な存在と思い込んでいるから、 批判には弱く、傷つきやすい。

このような害虫は、 自分が批判されたと思い込むと、 その被害観が暴走し、 あらゆる批判が自分に向けられたものだと被害妄想を持つ傾向にある。 そしてあれもこれも自分の名誉感情を侵害したとして、 また自身を特別な人間だと思い込んでいるが故にその訴額も 異常に高額な、名誉感情侵害を訴えることがある。 名誉感情侵害は所詮「さじ加減」であるから一般には認定されたとしても 数十万円とか、場合によっては数万円の場合すらあるのだが、 彼らは自分の内部的名誉に対する評価が高いが故に、 これが何千万円という額になって訴えにつながることがある。 このレベルの額になると、弁護士費用も数百万から場合によっては数千万ということになり、 その濫訴に対して応訴しなければいけない被告の金銭的、心身的負担も甚大なものとなる。

このような異常者を社会から排斥すべきというのは誰しも同意するだろう。 そうすることが我々の言論の自由を守ることになるからだ。 しかし残念なことに、自己愛性人格障害の人間を見極めるのはかなり難しいことだ。 特に隠れ型の場合、表面的には人当たりの良さそうな人間に見えるから、 一見するといい人に見えてしまう。

自己愛性人格障害者からの防御方法

そこでおれは、2つの防御方法をみなさんに伝授する。

一般論として話す

1つは、名誉感情侵害にとられないものの言い方である。

名誉感情侵害のおかしなところは、明確な同定可能性の証明は必要ないことだ。 このおかしさ故に、名誉感情侵害では、 まるでマイケル・ジャクソンが買い物するかのように、 あれもこれもと自分のことを言ってると請求に含めてしまうことになる。 批判してる対象が特定出来るかどうかというのは、あくまでも自分の心が傷ついたかどうかでしかない 名誉感情侵害においては大きな問題ではないのだ。

だから、この点に対して完全な防御をするためにはあくまでも一般論を装った批判をすることだ。 そもそも特定の人間に対して言ったものですらなければ、自分のことを言ってるもへったくれもないわけであり、 例えば、複数形にして話すとか、もっと抽象的な一般論として話す というのが有効的な策といえる。 例えば、東大京大東工大以外のエンジニアは頭が悪すぎて気持ち悪いと言っても、 これに対して阪大出身のエンジニアが名誉感情侵害されたと言ったら、それは狂人だろう。 そもそも個人について話してすらいないことが明らかなのであれば、抗弁も簡単になる。

あなたの言論をウォッチしている自己愛性人格障害者は狂っているため、 このような批判であっても自分のことと捉えるが、 しかし自分のことを言ってないことは明確であるから訴えることは出来ない。 そのジレンマに苦しめることが出来るのだから、単なる防御手段というだけでなく、 むしろ攻撃として有効であるとすら言えるのだ。

コンプレックスのある人間を馬鹿にしない

もう1つは、コンプレックスがありそうな人を馬鹿にしないことだ。

例えば、低学歴の人というのはどこかしらコンプレックスを持っているものだ。 おれは京大卒なので、低学歴だとか馬鹿だとか言われても傷つきはしないが、 例えば高専専攻科出身者とかいう超ゴミ学歴の人間がそう言われたら傷つくこともあるだろう。 低身長の人に対して身長を馬鹿にしたら、表向きは笑って済ますかも知れないが、 内心は根に持つかも知れない。デブやブサイクも同様。

だから、こういう哀れな人に対してはけっして馬鹿にしてはならないのだ。 おれはコンプレックスが何もないのでコンプレックスがあるというのがどういうことなのか さっぱりわからないのだが、おれと同じような人間は特に気をつけることだ。

そもそもコンプレックスがある人間を抹殺出来ればいいのだが、 それはそれで難しいので、とりあえずはコンプレックスがあるゴミは無視するでいい。

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