二月の勝者ドラマ版5話が微妙だった。脚本の偏差値が低い

二月の勝者の5話が昨日放送された。 島津くんは二月の勝者の中で中心的なキャラクターであり、 この回がコケるともうこのドラマは終わりだろうなと思っていた。

GAAラジオでは、 島津くんの背景を理解し演じることは 島津くん役のボンには無理で、たぶんぐだぐだに終わるだろうという予想をした。

では実際どうだったかというと、 脚本がゴミで、原作が毀損されたと思う。 脚本の偏差値が絶望的にゴミだ。

どうゴミだったかというと、この回は、

  1. 島津くんと上杉くんの友情物語
  2. 島津くんの虐待問題

という2つの独立した話が 密に関わりすぎていて、島津くんが父親に反抗するシーンも、 友情を大事にする子供という印象が強くなってしまっている。

しかし原作の描写はそうではない。 島津くんは母親思いの子であり、 のちに父親に手を出して警察沙汰になるのも、すべては母親を守るためだ。

今回の脚本でも、 「中学受験をやめたらお母さんがいじめられる」 というシーンは一応あるが、子役がボンなので泣いてすらいない。 もしこれが安達祐実や吉岡秀隆と行った天才級の子役であれば、 もっと感動的なシーンに出来たはずだ。 子役がボンだから脚本もボンに合わせざるを得ない。 マジな演技をさせたらボロが出るから、アフロ野郎とオカマを登場させてコミカルなドラマにしてごまかすしかない。 現代のドラマはクオリティが低すぎる。すべては子役スクールが悪い。これはサピックスと同じ理由だ。 おれはもっとハイレベルな、御三家クラスのドラマが見たい。 人間失格、聖者の行進・・・野島伸司はよかった。

決定的だったのは、このシーンを無視したことだ。

このあと、島津父は一瞬だが、ふと我に返ったような描写がある。 この描写から、島津父も本来は アナキンスカイウォーカー的な意味で良いお父さんだということを読者は感じ取ることが出来る。 また、島津母が島津父を「本当は優しい人なのよ」というシーンもある。 こういった描写により、読者は、島津父がいつか改心することを期待してしまうのだ。 それがドラマの描写だと、島津父はただ一直線にキチガイDV野郎になってしまう。 ち・が・う・だ・ろーーー。

このコマのあと、ドアの外から部屋の様子を見て泣く島津くんがいる。

島津くんは、唇を噛み締め、声を出さずに泣いている。 なぜだろうか。 ボンには分かるまい。 これが中学受験だ。

もう1つ、このシーンをカットしてしまうことの害は、 島津母が泣いている理由がよくわからなくなることだ。 ドラマでは、島津母が失踪した島津くんを心配しているシーンがあるが、 教育虐待の末失踪した子供を心配するのは当たり前でしかない。 最悪ケースだって頭によぎるはずだ。

しかし大事なことは、 島津くんが幼少期には病弱な子供であり、 母親としては、島津くんが健康に育ってくれればそれで十分だったという背景だ。 それが、「どこにも受からなかったとしても、順は順です」 というセリフに繋がるのだ。

島津くんは、ドアの外から自分のために泣いてくれる母親を見て、 「中学受験をやめたらお母さんがいじめられる」 ことを自分が嫌だと思う理由をはっきりと理解したに違いない。 だから、次に母親が暴力を振るわれた時に、父親に対して手を出したのだ。

このシーンが欠けてしまうと、 島津くんが父親に手を出したとしても、 その意味が原作とはズレてしまう。

二月の勝者は非常に深い漫画だ。 島津回は、4巻です。