おれは、思考力がないやつは嫌いと言ったが、 そもそも思考力とは一体何なのか。
思考力というのは、自分がやってることに対して疑問を持つ能力のことだ。 当たり前を疑う力と言ってもいい。 新型のワクチンを打てと言われた時、 思考力のある人は「本当にそれって正しいものなのか?」 と疑い、自ら調べることが出来たが、 思考力がない人(例:高専専攻科出身者) はmRNAワクチンも従来型ワクチンと同様に考えて 「ワクチンなんだから安全」「子供にも打たせてあげよう」と思考停止する。 実際、ワクチン開始時にはこういう人が目立った。
思考停止してはいけない。 思考停止しない力、それが思考力だ。
よく、東大や京大など難関大学の入試は思考力がないと解けないと言われるが、 実はそうではなく、逆である。 むしろ、思考力などない方が解けるようになる。 なぜならば、 入試問題には答えが必ずあり、 そこに疑いを挟むことは雑音にしかならないからだ。 だから、むしろ問題を解くことに思考停止した方が解けるようになる。 本当に答えはあるのだろうかとか、 この問題を解いた上で選抜されることは正しいことだろうかなど、 疑問に思ってしまうような人間は入試では厳しい。 検索エンジンに聞けば秒でわかるようなゴミクイズを解くことは明らかに愚かな行為であり、 思考力がある人間ならば絶対にやらないが、 そういう能力に優れた人間を東大王と呼ぶことからも、 いかに受験というものが思考力を必要としないなのかわかると思う。
最近、受験が得意な人の数学の解き方をユーチューブなどで見ることがあるが、 こういう人たちは、メタ読みを行っていることに気づいた。 例えば、京大の整数問題なのでmod 3だろうとか、きっと帰納法だろうとか、 受験数学の範囲なので想定アプローチはこの3つのうちのどれかだろうとか、 間違った道を選ぶと計算が煩雑になるように作られているだろうとか、 そういう考え方をしている。 TVゲームをプレイするときにも、 「きっとここらへんでボスがいるのだろう」 とか制作者の意図をメタ読みすることがあるが、それに近い。
入試問題を解く能力はただの情報処理能力なのだ。 ある決められた出題範囲の中でどれだけ早く記憶ないしパターンを引き出して 素早く処理をするか、これしか測れない。 だから、情報五輪の金メダリストだとかキチガイみたいに頭の良いはずの人間が 何の疑いもなくさくっとワクチンしてたりするのだ。 その理由は繰り返しになるが、彼らにあるのはただ尋常じゃなく高い情報処理能力のみであって 思考力ではないからだ。 あんな作為的に作られたプログラミングの問題(とは言わないか)を短時間で解くことなんか、 ゴミクイズを解くのと大差ない(実際、今ではAIにギュられた)。 それに没頭してるあたり、やはり思考力がないのだ。
情報処理能力と思考力という2つの軸を車で例えるならば、 情報処理能力はアクセルで、思考力はブレーキと言える。 スピードばかりが速くてもブレーキがなければ、 それでも受験くらいまでは突っ走れるかも知れないが、 どこかでクラッシュして(ワクチンして)死ぬのがオチだ。 それに、 F1レーサーがフルアクセルとフルブレーキを行ってコースを最速で駆け抜けるように、 ブレーキがなければそもそも早くも走れない。
ではアクセルは弱いけどブレーキはまともな三輪車人間はどうかというと、 これは遅すぎて話にならないし、 多くの場合、情報処理能力が低い人というのは思考力も育たない。 物事の矛盾に気づくだけの能力がそもそもないため疑うことが出来ないし、 疑うことが出来ても、そのコストが高すぎるのでやめてしまう。 情報処理能力すらないゴミは、思考力を得ることすら出来ないのだ。 あるいは、その権利すら神に与えられていないと言ってもいい。
結果として、 情報処理能力が低い人(例:高専専攻科出身者)は全員確定で穢多だが、 情報処理能力が高い人の中には穢多と そこから思考力を育てた天才の2パターンが存在するということになる。 そして、今後のAI時代に必要なのは言わずもがな おれのように情報処理能力も思考力も高い天才のみであり、お前らのような穢多は不要だ。 思考力がないきもい穢多どもがさっさとワクチンにファされることを願う。