【中学受験】特A or die

中学受験どっちがどっち(関東 VS 関西)

中学受験において、 関東は基本的に国算社理の4科目が行われる。 たいていの場合は、国算と理社の間には傾斜があり、 例えば麻布中学の場合は国算は60点満点だが、理社は40点満点となっている。 一方で筑駒のように、全科目100点満点となっているところもあり、 いずれにしろ4科目をしっかりやることが合格の鍵となる。

一方で関西ではここから社会を省いて3科目にした上で、 理数系重視の入試が行われる。 灘をはじめとする関西のトップ校が東大入試に異常に強いのは、 数学と物理が異常に出来るからだろうと思われる。 確かに、灘や甲陽の算数と理科は、かなり難しい。

これらの入試方式に関する議論について、 一体関東と関西ではどちらの入試が難しいのかというものがある。

これについては 最近では遠征も行われているようだが、 開成や麻布に落ちたけど、理数系だけは強いという子が 灘に合格するというケースもあるし、 一概にどちらが難しいということは出来ないように思う。 おれにしても、苦手な社会を省いて、国語が簡単になるならば、 受験はもっと有利になったと思う。 事実、当時の栄光は開成に匹敵する偏差値があったが、合格は余裕だった。 これは、栄光の国語と社会が難しくなく、足を引っ張らなかったからだ。

だから結局、個人の特性の問題ということになる。 たまたま算数と理科が強い子が関西に生まれれば灘に合格するだろうし、 国語と社会が強い人文系に才能のある子が関西に生まれれば芽は出ないだろう。 そういう意味で、そのどちらにもチャンスのある関東の入試の方が 多様性の観点では優れているとは言えると思う。 そのためか、個人的には、灘出身者は全員似たりよったりでくだらないと感じる。 特に、雷獣チャンネルに出てくる灘出身者は全員同じに見える。

英進館

英進館は、九州の中学受験の最大手塾である。 テキストは中学受験業界でもっとも広く使われている予習シリーズを使っており、 おそらく四谷大塚が実施する合判などの模試も受けていると思われる。 この場合、関東の偏差値と九州の偏差値にはある程度一貫性があることになる。

九州の中学受験には関東や関西に比べると少し特殊な事情がある。 真の最難関校が存在しないのだ。 関東であれば、御三家や筑駒のような高みが存在するし、 関西であれば灘や甲陽、東大寺のような高みが存在する。 従って、かなり優秀な子にとっても「飽きない」環境となっている。

しかし、九州にはそのような高みがない。 九州の最難関はラ・サールか附設かということになるが、 これらの偏差値はどれも、関東でいえば浅野程度、関西でいえば大阪星光程度しかない。

これらの学校は、確かに難関校の部類ではあるものの、 実際のところ大して難しくはない。 浅野であれば、御三家に合格する子であれば遅くても6年生の夏には余裕の合格圏に達してるだろうし、 本当の最優秀層であれば5年で受けても余裕で受かるだろう。 実際おれの場合も、浅野しか合格出来なければ中学受験は失敗であり、進学はしないということになっていた。

キングダムでいえば、 筑駒が大将軍、御三家が将軍とすると、浅野は百人将か、よくて千人将くらいの差がある。 競馬でいうと、筑駒がG1、御三家はG2G3、浅野は500万下くらいだろう。 浅野は「凡人が努力して行ける最上位校」などと言われるが、 これは本当にしっくりと来る表現だ。

当然、九州にも優秀な子供はいるため、 そういう子は、早晩、九州の中学受験を上がってしまうことになる。

だから、英進館はこういう飛び抜けた子たちのために ゲームでいうところの いわゆるクリア後モードを用意している。 もうほっといても九州最難関(笑)には合格する超安全圏の子たちを集めて、 関東や関西の入試対策を行い、そして遠征させるのだ。

特A

このように、 英進館は関東や関西の入試について第三者の視点から分析をしており、 標準的なテキストで勉強した中で優秀な子たちを集めて、 お試しではなく合格する(ボコす)ことを明確な目標として 遠征受験をさせてきた実績があるから、 関東VS関西論争に対して第三者の目からみて公平な判断を 下せる能力があると考えることが出来る。

その英進館が、学校を難易度で格付けした結果、 「特A」が生まれた。 特Aに含まれるのは、灘、開成、麻布、桜蔭の4校だけである。

https://www.eishinkan.net/entrance/junior_levels/199/

その下のAクラスには、附設やラ・サールのような九州最難関や、 わざわざ出向く価値はないが、遠隔地受験のあるから受けてやってもいいレベルの 西大和や愛光などが並んでいる。 九州の学校の特進クラスもあるが、これは栄東の東大選抜みたいなもんだろうか。 いずれにしろ、島津父に言わせればこうなるだろう。 そのとおり、特Aに行けないならば死んだ方がマシだ。

さきほど述べた九州のエリートキッズたちはTZNクラスに招待され、 これら特Aを撃破するための特殊訓練を受ける。 四谷ならばSクラスに相当するだろう。 そこからが彼らにとっては本当の中学受験の始まりとなるのだ。

特A以外、生きる意味ある?

最近、おれが真剣に考えていることは、 特Aにも行けない知的障害者に生きる価値があるのだろうかということだ。

彼らは常にとんちんかんなことをして、社会を荒らす。 むちゃくちゃなコードを書く、むちゃくちゃな文章を書く、 論理的にごちゃごちゃに話す。 コロナワクチンについてめちゃくちゃな知識しか持たないままワクチンを打つ、 政治や経済について明らかに誤ってることを言う。 こうやって彼らは、社会を荒らす。

彼らは特Aへの迫害も行う。 理解出来ないからだろう。 こうして、おれは潰されようとしている。 この世界はおれにとって非常に生きにくく、 おれは自殺に追い込まれようとしている。

ポルポトは独裁者として、特Aの人間を抹殺したが あれは間違いだったと言われている。 では逆に、非特Aの人間を抹殺したらどうだったのだろうか。 最近の日本を見ていると、 それが正解であるようにしか思えなくなっている。 おれがアキポトになったら、非特A人間を抹殺します。

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