アニメ「バビロン」における自殺法の議論をまとめる

最近書いてきたとおり、 私は経済的に困窮し、自殺するしかなくなった場合には、 安楽死をしたいと考えている。 理由は、死ぬことすら嫌なのに それをわざわざ苦痛を迎えたくないからである。

この苦痛を、 自殺は悪いことなのだと人間に教えるために 神様がつけてくれた機能だと言う人もいるかも知れないが、 私は神を信じていない。 他国の人間の価値観を理解したいがために聖書は読んだことがあるが、 入信したいとまでは思わなかった。

私は知らなかったのだが、 今アマゾンプライムで「バビロン」というアニメがやっている。

存在は知っていたのだが、バビロンというタイトルから、あまり見る気は起きなかった。 古代メソポタミアを舞台にしたなにかの話だと思ったからだ。 シュバリエなど、歴史ものは好きだが、今は見る気が起きない。

しかし、サイコパス3を8話まで見終わったあと、 私は偶然にもバビロンを見始めたのだ。 それは、他に面白そうなアニメがなかったからに他ならない。 チェルノブイリを見たいが、スターチャンネルに登録するのは金銭的に厳しい。 今の私にとって、月1000円を支払うことは致死である。

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バビロンの根本的なメインテーマは「善と悪」であると思う。 少なくとも8話まで見た限りでは。 そして、そのために「自殺」が議論の対象として扱われている。 自殺は本当に悪なのか?と問うているのである。

設定は、現在の日本より少し近未来の話であり、 東京への人口密集の解決のため、八王子やそこらへんに「新域」 という特区を作り、その域長選挙として齋開化(いつきかいか)という人間が選ばれるところから始まる。

そして、齋は区長になると同時に「自殺法」の制定を域民投票によって決めると言い出す。 この自殺法というのは、回復の見込みのない重篤な病気の場合に使われる「消極的安楽死」ではなく、 自らが自分の生死について選択する権利を有するという「積極的安楽死」を有効にしようというものだ。 まさに、今私が求めているものである。

齋の本当に狙いは、自殺が善か悪かというレベルにはなく、 そもそも善と悪について問うというレベルにあるように考えているが、 自殺法制定に関する討論において、齋が自殺法についてどう考えているかは 安楽死について考える良い題材になるためまとめておきたい。

自殺法反対派の4人に対して齋が反論する形になっている。

  • 自殺法を制定すると経済的な損失がある(二木):日本では年間に2万人自殺している。これによりGDP1兆円の損失が生まれている。もし、自殺法が制定されれば自殺者が増える。それによって経済的損失が増える。
    • 自殺法が制定されても自殺者が増えるとは限らない。なぜならば、それに対して真剣に考える機会が与えられるからである。例えば、大麻の例をとると、大麻を禁じるのではなく解禁したオランダでは、大麻の使用者が減った。
  • 自殺法は道徳的に間違っている(岩国):道徳とは、人間と人間の相互関係における約束である。もし殺人が善となれば社会が崩壊することは想像に難くない。自殺も同様に明らかなルール違反である。なぜならば、自殺によってある人間が当然いなくなることが許されるからだ。これでは、社会的なルールが成り立たなくなる。
    • 道徳は時代によって変わるものである。例えば、以前は同棲愛は重罪であったが、今は社会的に認められている。男女の不平等は今は認められていない。
  • 自殺は殺人や盗みのような不道徳である(岩国)
    • 自殺法を制定し、自殺について考えるようになることは、道徳に正しいことである。
  • 自殺法の制定は、国民全員が自殺に関与していることになる(柏葉):極論。自殺関与罪というらしい。
    • そもそも自殺を法で取り締まるべきかが疑問である。宗教が生まれる以前には、自殺は許されていた。
  • 人間には感情があるため自殺法を適切に運用出来ない(野丸):自殺法は一定の人を救う可能性がある。しかし、多くの人にとってはそうではない。なぜならば、人間は死を考える時に理性的ではいられないからだ。従って、誤って自殺してしまい取り返しがつかなくなる場合も生まれてしまう。
    • 自殺法とは、誤って自殺しなくなるためのものでもある。自殺を公に議論することによって、納得する形で死を選ぶことが出来るようになる。

このうち、私が重要だと思うのは、 自殺が認められれば、自殺についてより真剣に考えるきっかけになるということである。 もしあなたの家族や友達が死を選べば、それによってあなたは死について深く考えることが出来るようになるし、 自身が死にたいと思った時にも、妄想をせずに済む。 なぜならば、薬を手に入れてそれを口に含めばあとは安らかに眠るだけであるからである。 私が今、死にたいと言ってるのも自殺がリアルでないからである可能性がある。

私には、自殺が認められれば、自暴自棄になって他人を殺す人は減るだろうという見込みもある。 実際に、人間が自分で生と死を選択出来るというのは世の中に対して利益をもたらすと思う。 中には本当に気の迷いから自殺してしまう人も生まれるだろうが、それは 車に乗ったら人を轢き殺す可能性があるというのと変わらない。 車は社会を便利にしたが、一方でいくらかの人間は車によって死んだ。 自殺も同じようなものであろうと、私は考えている。

今、日本経済は堕ちていく一方であり、死ねることならば死にたいと思う人が増えたことは事実であろう。 私が「安楽死したい」と言った動画にも、「自分も安楽死出来るなら死にたい」というコメントがついた。 バビロンというアニメが作られたのは、そういう社会的な背景もある。

私の貯金はもう2年もすれば尽きる。 その前にどうか、安楽死が認められたらと願う。

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