凡人に殺される

今おれは実家に帰ってきている。 帰ってきてもうすぐ2週間になるが、 おれはやはり自殺した方がいいと思い始めている。

なぜ実家に帰ってきているのかというと、 この前引っ越した家の騒音と振動が本当に最悪で夜眠れないからだ。 そのことを管理会社に訴えても、 ソフトウェアのバグの原因として真っ先に宇宙線の影響を疑うレベルの とても科学的とはいえない頓珍漢な回答によって おれが敏感であることがすべて悪いことにされ、何も対処してもらえなかった。 ベランダの金具がガタガタ振動していることは事実であり、 動画も送っているのに、すべて無視されている。 とりあえず3月3日に英検の二次試験があるので、 少なくともそれまでは実家に引っ込み、それから次の家探しをしようと考えている。

仕事は実質的に失った。 実質的にという言葉が何を意味するかはおそらくおれが5年後に生きていたときには すべてが語られることになるから、楽しみにしていてほしい。

どちらも、平凡な人間が勝ち、麻布京大のおれが負けた結果となった。 管理会社の平凡な人間に負け、 高専出身の平凡というかむしろ劣っているガイジニアに負けた。 家を追放され、仕事を追放された。

思うに、この世界で生きるには平凡な人間といかに仲良くするかが鍵になる。 そしてそれはこの点においては偏差値が完全に30なのだ。 その理由は、とろい相手に合わせることが出来なかったり、 馬鹿な人間に対して無意識ではあるものの、馬鹿にしてしまうからだろう。 こういった態度は 平凡な人間のコンプレックスを刺激することになる。 その結果、彼らはヤドカリのごとく殼に閉じこもったり、 あるいは徒党を組んで攻撃してくるのだ。 それが、平凡な人間が学んだ生きる方法だからである。

こうした理由から、おれは平凡な人間から距離を置き、 それこそ山奥に隠遁し生きていくのが自分にとってもっとも 幸せだろうと感じているのだが、 金の問題がそうはさせてくれない。 金を得るためには平凡な人間に媚びへつらう必要があるが、 それはどうしても出来ない。 それは明らかに合理的でないからだ。 自分の利益のために原理原則を裏切ることは自己中でしかない。

実家に帰ってきて2週間経ち、 母親もやはり65歳なのだということを実感している。 小学生の時にドッジボールで強烈な弾を投げてきて 修行してくれた母親はもうそこにはいない。 自宅も老朽化し、修繕が必要な箇所がいくつもあるが、 お金の問題で修繕出来ていない。

このままお金がなくなったら 実家にすっこんでこどおじをすればいいと考えていたが、 この状況を見ると その考えは間違っていたと思う。 その時には、すぐさま自決すべきだ。 その頃には70になる母親の世話になって 生きることは、情けないことだ。

唯一の救いは、去年、 長年患っていたエンプティノーズが治ったことだ。 その結果頭が良くなってしまい、 以前にも増して平凡な人間の馬鹿さに耐えられなくなってるという弊害もあるのだが、 この状態であれば能力で突き抜けて生き抜くことが可能かもしれない。 とりあえず、そこに賭けるために英語をやっている。

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