【25年目の麻布中学合格体験記】遊び人の記憶

中学受験というと、親が付きっきりであれしなさいこれしなさいとスパルタ教育するような光景を一般的には想像するだろうが、私の場合、吾輩は猫である事件のあとは、勉強した記憶があまりない。

記憶がまるでないわけではない。四谷大塚の予習シリーズに蛍光ペンで線を引きながら覚えたり、地図を覚えるために白地図を買ってきてそれを埋めたり、確かに勉強はしたと思うのだが、そこまで辛かったという思いがない。

塾での記憶も、塾のやつと将棋を指していたり、3次元の5目並べで他のやつらをボコボコにしたり、遊んでいた記憶はあるのだが、勉強をしている記憶がない。手持ちのサイロ型の保温器に入った弁当を食べている記憶はあるので、塾には行っていたのだろうが。膨大な時間を塾で過ごしたはずだが、記憶はほとんどなくて、自分は本当にちゃんと授業に出ていたのか少し怪しくなってきた。実際、塾から毎日やるための算数の問題集をもらうのだが、これは意味ないと思ったので全部捨てていた。計算問題とか、簡単な問題とか、取りこぼしをしないようにするための訓練らしいが、そういうのは自分の好みではないからだ。

勉強していた記憶よりむしろ、遊んでいた記憶の方が多い。

今日は楽しい記憶について話そう。

当時、世の中はJリーグが立ち上がったばかりで、サッカーが大変流行っていた。ちょうどカズダンスが流行ってた頃だ。サッカーをやってる子は多く、結構うまいやつもいた。中には高校までサッカーをして全国でベスト4まで行ったやつもいるので、実際に水準はそれなりに高かったのだと思う。私は塾が始まるまで毎日、小学校の校庭でサッカーをしていた。下手だったが、足は速かったので、それだけで楽しめてはいた。曲がるボールの蹴り方とか、落ちるボールの蹴り方とか、色々なことを教わったものだ。終わったあとに、近くの商店でライフガードを買って飲むのが楽しみだった。いつぞやのクリスマスプレゼントはサッカーボールだった。ヴェルディのジャージも持っていた。

二組に落とされた時に二組の悪ガキどもと仲良くなって、こいつらとは塾の休み時間とかに近くの小学校に潜入して、そこでやっぱりサッカーをしていたり、ポケモンをしていた。当時、ポケモンは赤と緑が出たばかりで、これは面白いと思った私はやり込んで、ミューツーを手に入れたりしてた。当時はミューツーを手に入れるのは裏技だった。塾にゲームボーイの対戦ケーブルを持っていって、対戦したものだ。もちろん、ポケモンは全部言えた。

似たようなゲームでは、たまごっちやデジモンもやってた。デジモンは車で遠くの店にいって定価で買って、希少価値を見込んでくれる店に転売して儲けていた。

小学校の友達に、将棋の強いやつがいて、そいつがスーファミの将棋を持っているので、一緒に将棋を打ったり、そのゲームをやらせてもらったりもしていた。スーファミでいうと、シムシティ2000にはドハマリして、自分の街にはコロニーが乱立していた。シムシティ2000は麻布中学の受験前日もやっていた。

小学校で陸上クラブにも入っていたが、当時レッツアンドゴーが流行っていて、学校でミニ四駆をしたかったからミニ四駆部を作って、視聴覚室にコースを持ち込んでやっていた。まぁ、これは小学校の中のことなので、遊んでいて当然だとは思うが。学校のスロープとかでもミニ四駆を走らせて、レッツアンドゴーを演じていたが、これは怒られてやがて禁止された。

ミニ四駆は軽量化やカラーリングなどかなりやりこんだし、シャイニングスコーピオンというスーファミのゲームもやりこんだ。これもやっぱり受験前後にやっていた。というか合格報告は、シャイニングスコーピオンをしながら電話で受けた。合格発表はめんどくさいので見に行かなかったのだ。

陸上クラブでは、横浜市の陸上大会にも出たし、横浜アリーナの室内トラックでリレーを走ったこともあった。コケて泣いたけど。

あとは以前に話したように受験の佳境に入る前までは、ピアノと野球もやっていた。

というわけで、受験のために抑圧されたという記憶がなく、むしろいつ勉強していたのか思い出せない。本当に中学受験をしていたのだろうか。

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