【東大理3】ルシファー、自殺を仄めかす

最近、ルシファーが「次の世界に行く」「パパファーの元に行く」 という言葉を使い、直接的ではないが自殺を仄めかしている。

本人もすでに「奇跡が起こらないと国試に受からない」と認めるほど形勢は悪く、 最近はコイントスをして解答を決めた方がマシな場合があるということに気づいたらしく、 いかにして試験場でコインを投げるかを妄想している。

自分や家族が患者だったとしたら、治療の方針をコイントスで決められてはたまったものではない。 適性がないのだから一刻も早く医者は諦めてほしいものだ。 前にもいったが、医師国家試験も三振制を導入するなりして、あまりにも適性に欠ける人間を排除してほしい というのが日々の安寧のみを願う凡庸な一国民としての願いである。

日本人は、受験で好成績な人は頭が良いと思いがちだ。 明らかに、この逆は正しい。つまり、頭が良い人は受験も出来る。これは正しい。 しかし、受験で好成績を残す人が、実は凡人であるということはあり得る。

受験というのは中学受験ならば算数で1問10分程度。 大学受験の数学なら1問20分かその程度で解けるように設計されたパズルである。 理科や社会の問題についても、教科書を素直に読み、咀嚼しさえすれば解けてしまう程度のものである。 国語なども、小説を自作するほどの能力は必要なく、書いてあることから答えが導けるように作られている これもやはりパズルのようなものである。 この特殊性から、受験だけは得意という人間が生まれてしまうことがある。 これはちょうど、走るのだけは得意とか、絵を描くのだけは得意というのに似ている。 ゲームがうまいとか、そういうのも同じことだ。

そういった人間は、受験だけは好成績を残すが、 他には何も出来なかったりすることがある。それがまさにルシファーだ。 国試というのが本質的な頭の良さを試されるものだとは思っていないが、 少なくとも受験に特化した脳だけでは対応出来ない問題だということはわかる。 名前は出さないが、ルシファーと似たようなタイプの人間が東大医学部を出たあとに 国試で多浪したという例はある。

だから、その脳以外の部分が凡人のルシファーは、対応出来ないというわけだ。 これは、東大理三と国試のどっちが難しいかとかそういう話ではない。 あまつさえ、そういった受験特化脳の人は、その部分だけを使って受験を楽に戦い抜いてしまうから、 他の部分が幼稚園児のまま成長が止まってしまう。 計算機で例えるならば、CPUはしょぼいがGPUはいいものを積んでいて、 並列処理だけは速いが汎用計算が全く出来ないと言ったような感じだ。

現実的な問題として、 仮に国試に合格出来たとしても研修先は存在しないし、 医者として金銭を稼ぐことも出来ない。 せめて国試に合格出来ればと思うが、今はそれすら叶わなそうだ。 あまりに絶望的で、最近は悲壮感が漂いすぎていて、見ているのが辛い。

こういった状況で出てくる考えが自殺なんだろう。

受験特化型人間というのは哀れなもんだな。

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