やりたいことなんかない絶望

ダリフラというアニメがちょっと前にTLで賑わってたけど、おれは見たことがない。ただ、歌は聴いた。トリカゴという歌で、女子高生が「学校や社会に縛られたくない。私にはやりたいことがある」と叫んでるような歌だ。歌自体はとても良い歌だと思うのだが、一方で、一般の女子高生になんか「やりたいこと」があるんだろうかと疑問に思ってしまう。

「やりたいこと」というのは、お腹が空いたからご飯を食べたいとか、ましてはヤリたいことではないと信じたい。勉強から逃げたいだなんていうのは論外。それは例えば、汚染された海をきれいにしたいとか、世界中で苦しむ膵臓癌患者を救いたいとか、人生を賭けて取り組む覚悟の出来たテーマであるべきであって、たかだか女子高生程度に見つかってるとはとても思えない。本当にやりたいと思えるようになるためには強い思いを生み出す経験も必要だし、先天的な才能も必要だと思う。日本でいうとAtCoderの社長なんかは、才能があって好きなことをAtCoderという形で事業にしていて素晴らしいと思う。

では女子高生よりは人生経験の豊富な大人ではどうか。おれも大人でもやりたいことなんか見つかってる人はほとんどいないと思っている。やりたいことがあると思いこまないと生きてて辛いか、あるいは職業や周りの環境によってそれをやりたいことだと勘違いしてるかのどちらかがほとんどなのではないか。やりたいから弱めて「好き」にしても怪しい。Javaが好きという人がいたらその人はScalaを知らないし、それどころかたぶんJavaしか知らない。

ではおれはどうか。おれもやりたいことがないことに最近ふと気づき、人生を虚しく感じてきている。それも仕事をやめて無職になった理由だ。本当にやりたいことは何なのか、仕事を一切せずにぼんやりと考える時間が必要だと気づいた。おれは多少の知能はあってソフトウェア開発が多少得意ではあるが、最近は常に退屈している。以前はもっと情熱があったような気がするのだが、今は以前より学ぶことが少なくなってしまったからか、そこまでの情熱がなくなってしまった。おそらく、ソフトウェア開発すらもおれのやりたいことではなかったのだ。

こうやって考えると、ほとんどの人は単独ではやりたいことを見つけることが不可能で、だからこそ結婚をして子供を作るのではないかという仮説を持つに至った。自分の子供を育てることがやりたいことというのはたぶん間違ってない。おれは最近思うのだが、子供は自分が大きくなるために必死にご飯を食べて、本当にぐんぐん大きくなる。一方でおれたち大人はどうか。がんばって筋肉を大きくしようとして、ハードなトレーニングとハードな食事を続けても、ほんの少ししか大きくならない。明らかに虚しい。だから、自分より成長しやすい人間を生み出してそれに投資することは、大変理に適ったことだと思うのだ。もっともその子供も大人になればまた悲劇を繰り返すだけなので大局的にいえば虚しいといえば虚しいのだが。ともあれこうやってヤリたいからやりたいを生み出す行為自体は間違ってないと思うのだ。

しかしおれは京大卒とはいえ無職34歳。ゴミだ。結婚は出来ない。絶望の2018

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