将棋は日本の恥になりたいのか

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グーグルのAlphaGoが、中国のプロ2段に勝った。次は現在世界最高と名高いイ・セドル(韓国)と対戦することになっている。

チェスで、当時世界最高のガルリ・カスパロフがディープブルーに負けたのは1997年のことである。次は、より難易度の高い将棋や囲碁に挑む挑戦が始まった。チェスは、計算機の発達によって得られた強引な探索によって勝てたが、将棋や囲碁にはゴリ押しは通用しないことがわかり、またCPUのクロックも上がらなくなったため、アルゴリズムで勝負することが必要となった。

突破口を開いたのは、プレイアウトをした結果の勝率を評価関数として採用するというモンテカルロ法である。そこから将棋や囲碁のソフトウェアは急激に能力を高めてきた。現在では、将棋はトップレベルのプロにちょこちょこ勝てるようになったが、囲碁はまだまだアマ高段というレベルにとどまっており、それが一気に中国のプロに勝ったということなので、恐ろしい飛躍があったことが分かる。

将棋の方が追い詰められていたからだろうか、日本将棋連盟はコンピュータ碁との対戦を避け続けてきた。あまつさえ、将棋界のレジェンド羽生との対戦には10億円近いファイトマネーが必要だといいだした。その理由はこうである。羽生は、コンピュータ碁との対戦のためには入念な準備が必要である。しかしそれは対人間とは性質が異なる。なぜならばコンピュータ碁は癖があるからである。従って、その期間は人間との対戦で勝てなくなるし、将棋打ちとして廃人となる可能性もある。それを保証するには全タイトルを失うことへの保証として10億円は必要だというのだ。

こうやって羽生善治は逃げ続けてきた。狭い島国でしか行われていないドメスティックな将棋というボードゲームで偉業を達成したという過去の栄光を守るために、逃げ続けてきた。

将棋は囲碁よりは探索空間が狭いゲームなので、現状として、人工知能が将棋名人に全勝出来るレベルに達してしまったことは自明だ。これはもし、AlphaGoがイ・セドルに勝ってしまったらより確定的となる。

その時に、羽生善治はどう言われるのだろうか。「チェスのカスパロフや囲碁のイ・セドルはコンピュータに毅然として立ち向かったのに、日本という島国に閉じた将棋というしょぼいボードゲームのチャンピオンの羽生善治は言い訳をしながら逃げ続けた」こう言われるのだ。

これは日本という国の、保守的であり権威主義であり、挑戦をしない国民性をも代弁することになる。また、人工知能に対してフェアな評価を出来ないという点から、IT後進国ニッポンのイメージをさらに確定的にしてしまい、もはや海外の技術者は日本には見向きもしなくなり、結果として日本のITの技術者の地位を下げることになる。

そもそもなぜチェスと囲碁はコンピュータと対等に向かい合い、将棋は逃げ続けるのかというと、チェスや囲碁は、人工知能をあくまでも強い人間として見ているのに対して、将棋は、あくまでもコンピュータとして見ているからだ。だから、コンピュータ対策をしなければいけないという公文式的な迷言が飛び出すのだ。 これはもっと一般化すると、島国ドメスティックなゲーム故に、人工知能に対して世界のそれとは異なる独自解釈をしたいうことだ。雇用制度、ITの業務形態、携帯電話など、日本は日本独自を好む傾向がある。これもその一つである。

まず日本将棋連盟は、グーグルの人工知能研究チームに見向きもされなかったということも恥じるべきであり、人間とコンピュータとがぎりぎり対等な時期にトップである羽生善治を差し出せなかったことを恥じるべきである。コンピュータが人間と同様の知能をいかにして獲得するかという世界的な動きの中に入っていき、貢献出来なかったことを恥じるべきである。そして羽生個人は、コンピュータが人間と同様の知能を獲得することが人類の目的なのに、ことさらコンピュータ対策をすると公文式言い訳して逃げ続けたことを恥じることになるだろう。


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