高橋まつりはなぜ死んだのか

テストステ論の人気シリーズ「人生」である。

2015年のクリスマスに高橋まつりは電通の女子寮4Fから飛び降りて自殺した。

おれと高橋まつりの間には共通点が多く、自分が自殺を決定する際に学んでおく必要があると思ったため、 おれは以下の本を読むことにした。

本の構成

この本は4章で構成されていて、 うち3章を川人博(かわひとひろし)という弁護士が、うち1章を高橋まつりの母である幸美が書いている。

章立ては以下のとおり。

  1. 高橋まつりさんはなぜ亡くなったのか
  2. まつりと私の二十四年
  3. 電通に対する十の改革提言
  4. 過労死ゼロの社会を

この川人博という弁護士は、1991年(つまり高橋まつりが生まれた年)に過労死した 元電通社員の大嶋一郎の案件も対応した弁護士であり、 高橋まつりが自殺したあとに、依頼されたわけである。

【電通】靴でビール飲み、かかとで叩き…24歳が過労死。父が社長に手紙を出すも“無視”した過去とは?

Wikipedia: 川人博

兄の川人明は東大医学部卒の医師で、本人も東大経済学部卒の弁護士らしい。 どうでもいいが、川人博氏は自身の弁護士事務所をhttps化した方がよい。

1章では、電通がいかにして高橋まつりを酷使したかが書かれている。 いかにしてサブロク協定を無視したかなど、事実ベースで書かれており、 電通がいかにブラックであり、高橋まつりが自殺したのは電通がブラックだからだ という主張がなされている。

2章では、母である幸美が、娘まつりの幼少期から自殺する日までのことを綴っている。

3章以降は読んでいない。 というのは、電通がホワイトだろうがブラックだろうがおれにはどうでも良いし、 そもそも、後に書くように日本の労働環境を改善するのは法律ではなく、人材の流動性だと思うからだ。

高橋まつりの死は彼女が選んだもの

本の中では、いかに電通がブラックで、 それによって高橋まつりは死に追いやられたという主張がされているのだが、 実際には、高橋まつりには電通以外の会社に行く選択肢もあったし、 入る前から大嶋一郎の自殺や電通の社風についても知っていたし、 自殺する前に辞めることだって出来たのだ。

電通がブラックであることは事実だと思う。 労働基準法違反も悪いことだとは思うが、それと高橋まつりの自殺とは関係がない。 なぜならば、避けることが出来たからである。 例外がある以上、そこに論理的な関係を見出すことは危険である。

当然、電通がホワイトであれば良いとは思うが、 ブラックであるにはブラックであるなりの理由があるのだ。 そして、その犠牲によって、電通という会社が成り立っているという事情はあるだろうから、 「法律を冒しながら利益を上げている会社」以上のことは言えない。 また、電通は入社難易度が高い会社として知られているから、 入社する人間は当然、その激務と高い賃金(平均年収は1200万くらい)を天秤にかけて「選んでいる」わけだ。

また、電通に入るほどの優秀な人間であれば、 さらに電通の厳しい環境で鍛え上げられた人間なのであれば、 当然、転職も可能というのが理屈であるから辞めることも可能だったわけで、 そうせずに自殺したことを電通のせいということは出来ない。 実際に、高橋まつりの場合は、死ぬ間際には辞めることも選択肢として検討していた。

だからこれは、 底辺人間が低賃金非正規で酷使されている問題と同列に語ることは出来ない。 また、底辺の賃金を上げることは消費の増加にも繋がるから、 そういう意味でも異なる。

どうすれば日本の労働環境は改善するか

日本の労働環境はブラックである。 これは、終身雇用が生んだ弊害の一つといえる。 終身雇用が通常で、人材が流動しないから、 人はいつまでも同じ会社に縛られることになり、 結果として、言われるがまま働くしかなくなってしまう。

ではどうすればよいか? 人材が流動するしかないのだ。

そうやって改善している業界が日本にも存在する。 IT業界だ。

IT業界は、非常に流動性の高い業界であり、 数年で辞めて次に行くということも珍しくはない。 そして実際に、IT技術者の労働環境はどんどん改善しているし、 賃金も他の業界に比べると高い。 いくら流動性が高いといっても、担当していた人が会社を突然辞めてしまうと 会社としてもダメージが大きいから、辞めない環境つくりには必死になる。 こうやって、何もかもが改善していく。 当然、何十年も腰を据えて取り組むような仕事がやりにくくなるなど 弊害もあるだろうし、研究分野では、短期的な成果を求めるあまりに 小粒なテーマに取り組みがちになったという実際もあるようだから、 すべてが良いというわけではないが、 労働環境の改善という意味ではこれが唯一の解決策である。

従ってこれは、鶏が先が卵が先かという問題なのだ。 つまり、電通の労働環境が改善すれば当然良いだろう。 しかしそのためには辞める必要があるのだ。 自らが辞めないのに職場の労働環境が改善することを願うのは、 虫の良い話である。

実際、おれの古巣である日立では、 おれが

退職します。拝承

を書いたあと、 手を動かすことが出来る ミドルウェアの開発者を中心に 流出が続き、技術力は空洞化したが、 その過程で働きやすさという点で改善する姿勢自体は見られた ということを人伝いにだが聞くことが出来た。 日式大企業の中では、うまくやってる方ではないだろうか。

同じ日式大企業という意味では、日立も電通も同じであり、 電通も人が辞めればきっと改善する。

この意味でも、 高橋まつりは、自らは辞めようとしないのに 電通の労働環境が改善すればよいという虫の良いことを思っていただけ という見方になるし、 辞めることも出来なくなるほど追い詰められていたというのも、 そうなる前に辞めなかったのが悪いのだ。

メンタルがやばいと思ったら、 正常な判断が出来なくなる前に辞めなければ、 高橋まつりのように死ぬまで行ってしまうのは当然であろう。

企業は労働基準法なんてあってないようなもんだというのがふつうだし、 おれも別にそれでいいと思っている。 もし、労働者を雑に扱う企業であれば、今の社会では転職サイトなどに 暴露されてしまうし、勝手に淘汰される。 電通が今も生き残っていて、人気企業であり続けるのは、 単に社会がそれを望んでいるからであり、むしろこれを法律によって規制しようとするのは 社会の足を引っ張ることになる。

高橋まつりはなぜ死を選んだか

高橋まつりの一生

2章では、高橋まつりが生まれてから死ぬまでの一生が書かれている。

簡単に紹介しよう。

高橋まつりは1991年11月28日に東京で生まれた。 7ヶ月の時、なんらかの事情により、富士山の見える静岡の田舎町に引っ越す。 幼い頃から知的な成長が早かったことが書かれている。 2歳3ヶ月の時に弟が生まれる。

小学校に入ると、 自然と勉強が出来るようになり、 4年生の時に ライバルと思っていた同級生が中学受験というものを始めるということを知るや、 「私もやる」と言い出した。

これはおれと同じだ。

【25年目の麻布中学合格体験記】25年前に私が中学受験をはじめてしまったわけ

この時点でお金がなかったということなので、 父親がどの段階でいなくなったのかはわからない。 というか、静岡に引っ越した理由も書かれていない。 そこが高橋まつりがなぜ死を選んだかに関係があるところなので ぜひ書くべきだと思ったが、隠したいところらしい。 複雑な事情があるのではないかと推察した。

足は速かったらしい。ここもおれと同じだ。

中学受験は結局5年生から始めた。 最初は何もわからなかったが、国語だけはよく出来たようだ。 苦労して自分を育ててくれている母親の期待に応えるために、とにかく勉強をしていたようで、 夜遅くに塾に迎えに行く時は、他の子が帰ったあとも一人で自習を続けていたと書いてある。 塾では優秀だったので、授業料の減額なども受けられたようだ。

しかし東京の私立中学に行くにはお金がなく、 地元のボンボン専用の私立中学に特待生として入学することになる。 こういうところには、自分の子供を公立に入れたくないお金持ちの家庭が、 公立では出来ない質の高い教育を求めて入ってくる。

小さい頃の夢は童話作家だったが、 特待生を維持するために猛烈な勉強を続けた結果、成績も良く、 母親や学校の期待も高まったため、東大を目指すことにする。 学校側も、東大が0人か1人かというのは天と地ほどの差があるため、 高橋まつりが東大に合格するように特別講義などを施したようだ。 プレッシャーから辛い時もあったが、とにかく努力を続け、見事東大に合格。

ハーマイオニーみたいだ。

東京での一人暮らしは寮生活からはじまり、決して裕福なものではなかったが、 今までしたことがなかったプリクラやカラオケなどをした時には嬉しくて 涙が出たということも書いてある。 それだけ、自分を抑圧して勉強を続けてきたのだ。

東大在学時には清華大学の短期留学プログラムにも合格し、 中国から奨学金をもらった上で一年留学、英語の他、中国語もHSK6級レベルまで上達したようだ。 言葉もわからず食事もあわない国で生き抜いた経験は彼女としては大きかっただろう。

帰国すると就職活動を開始し、電通に合格。 今はだいぶ下がったようだが、当時の入社難易度はまだ高かったようで、 本人も周りも喜んだようだ。

電通では、新人研修時からハードワークを要求され、 その中でも持ち前のまじめさを評価されていたが、 研修後の配属ではなぜか希望順位が一番下の部署に配属。 ここはネット広告を担当する比較的新設の部署であり、 競合が多いことと、ネット広告の特性もあり(レスポンスが速いため仕事が回転し続ける) 激務で知られており、おそらくそういう理由もあって、希望順位を低くしたのではないかと思う。 ブラック of ブラックは明らかにやばいからだ。

そして配属の2ヶ月後、精神は崩壊し、自殺した。

10月の段階では「仕事は辛いけど、休むか辞めるかは自分で判断するからお母さんは口出ししないで」 と冷静であった。 また、部署異動について交渉もしたようだ。 母親としても、「辞めた方がよい」といいつつも、娘がいつも自分の力で道を切り拓いてきたことから、 今回もきっと乗り越えるだろうと楽観視していたようだ。 辞めること自体を望んでいたわけでは決してないというのが重要なポイントとなる。

しかし自殺した12月になると「ベッドで眠ると起きれないから携帯を持ってソファで寝てる」 などと言い出し、自殺当日には自殺をほのめかすメールを母親に送るに至る。 電話をして、今すぐ辞めなさい死んではならないと諭したが、うんうんと答えるのみであり、 その後飛び降りて死亡。

そして今は、大好きな富士山の見える丘に眠っている。

高橋まつりの幸せは母親のものだった

なぜ、高橋まつりは退職ではなく、自殺を選んだのか。 東大卒であり、清華大学への留学経験もあり、英語も中国語も流暢などという人材はそうはいない。 電通なんか辞めてもいくらでも可能性があったということは明らかである。

実際、彼女も辞めること自体は検討していた。

彼女は生まれつき頭も良かったと思うが、 その上に強烈な努力を重ねた。

しかしそのモチベーションは、 一人で育ててくれた 母親を早く楽にさせることだった。 実際に、電通に入ると行った時にもブラック企業と知りつつも、 早く高い給料を手に入れて親に仕送りをすると張り切っていたようだ。

これは、私立の中学に行き、お金持ちの子供たちをたくさん見たこと (彼らとの関係は良好であったというが、嫉妬はあったと思う) もあったはずだ。 だからこそ彼女はのちに、帝京大学医学部のようなお金を払えば入れるような 学校のことを批判してしまったのだ。この批判はまっとうだ。 実際におれもそう思う。しかし、言う必要はなかった。 表面上は優等生である彼女が裏では壊れていたのは、こういう背景がある。

高橋まつりはもともと童話作家になりたかった。絵本が好きだったからだ。 しかし母親と学校の期待に応えるために東大に入った。 それまでにも自分を殺して努力を続けた。

だからだろう。 電通がブラック企業だと身を持って知ったあとも辞められなかったのは。

仕事を辞めて母親を心配させたくなかったからだ。 「口出ししないで」というのは「心配しないで」という意味であるとおれは考える。

彼女の幸せは、母親の幸せから来るものであり、 母親は「電通を辞めてよい」とは言ったけど、それが「辞めたら母親が幸せになる」という意味 とは到底考えられなかった。だから辞められなかったのだ。 もし、母親が「まつりが死んだら困るから辞めてほしい」と言っていたらきっと結果は違っただろうが、 「辞めるべき」というべき論では、彼女はそれが母親の望みと捉えることが出来なかったのだ。

2章にはこんな残酷な一文がある。

「いま振り返ってみて、あんなにがんばっても結局しあわせになれなかったことを思うと がんばらない人生だったら良かったのにと思います」

高橋まつりさんはあなたを幸せにするためにがんばっていたんだよ。 そのことを理解してほしい。 それに、高橋まつりの幸せはあなたが決めることではない。

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