人間は35歳くらいまで勝負が決してしまう

今現在、重篤で回復不可能な病気だとか、 場合によっては超高齢者については、安楽死を適用しても良いのではないかという議論があるが、 おれは、35歳くらいになって自殺したいと思う人は安楽死を適用してもよいのではないかと思っている。

なぜかというと、そこらへんにもなると人生の勝敗というのは決定してしまうからだ。 人生には競争がある以上、勝者と敗者が生まれるのは当然のことだ。

安楽死は究極のセーフティネット

で述べたように、囲碁や将棋における投了というのは勝敗が決した勝負を負けたまま 続ける苦痛を避ける意味合いがあり、安楽死にはこの目的もある。

おれは今35歳なのだが、 人間は何かを成し遂げるためにはもう十分生きたと思っている。 これ以上生きたとしても、何ら進展はないだろうし、逆転の目もない。 朝起きて、ケトルベルを振って、菓子パンをプロテインで流し込みながら くだらないブログを見て、くだらないユーチューブやアニメを見ながらケラケラ笑い、 シコって寝るだけの毎日が続き、やがて貯金が尽きたら貧困の中惨めに死ぬだけだ。

だったら、そうなる前に死にたい。 安楽死がしたい。 クスリを口に含んだら気持ちよくなって、 夢心地にこの絶望的な世の中から去りたい。 バビロンに出てくるニュクスというクスリがほしい。今すぐ飲みたい。

そこでこの記事では、 35年も生きれば大きな成果を残すためには十分なのだから死んでもいいんだという論拠のために、 35歳くらいで死んだ天才たちを紹介したい。

これは心の整理と言ってもよい。

これは別に、自分が天才だと思っていて、35歳の時点で彼らに匹敵する成果を出してないからもう生きてる意味がないと言ってるわけではなく、 どんな人間でも35年も生きれば能力に応じた何かしらの成果を出すには十分だといってるに過ぎない。 その上で、何も出来ていないおれは今後も何も出来ないだろうし、生きてる意味はないと言っているのだ。 また自己愛がどうとかいう白痴が出てくるといけないから言っておく。

この人も35歳くらいで死んだよ!という情報提供があれば、追記していく。

しかしこう書いてみて思ったが、 本当に必要な人間が死に、どうでもいい人間がぐだぐだと生き続けるというのは なぜだろうね。おれはどうでもいい人間な上に死ぬから救いようがないんだけど。

新選組 局長近藤勇・副局長土方歳三

麻布学園では高校一年の時に社会科の課題として、 論文作成が課される。ここでは好きなテーマについて何か一つ論文のようなものを 作成することが求められるのだが、ここでおれが選んだテーマが土方歳三だった。 論文のタイトルは「土方歳三論」であった。 おれは特に土方歳三のファンだったので、高校生ながら五稜郭一人旅をしたりもした。

彼らは、武力による立身出世を夢見て、 幕府側につき、ひたすら戦いに身を投じるわけである。 彼らがやっていたことは、戦争と内輪揉め(そして粛清)に尽きるのであるが、 新選組の名が後世に語り継がれていることは、彼らが大きなことを成し遂げたことを意味する。 少なくとも、多くの凡人は、300年以上もあとに語り継がれたりしない。

しかし結局、新選組がついた幕府側は敗北し、 近藤勇は、33歳で斬首刑によって死亡。 土方歳三はその後も戦争を続けながら北を目指したが、 五稜郭の戦いにて戦死。34歳であった。

音速の貴公子 アイルトン・セナ

音速の貴公子アイルトン・セナは、F1のスーパースターであった。 端正なルックスもあり、女性ファンも多かった。 アイルトン・セナの曲なんていうものもあるくらいだった。

そんなアイルトン・セナが死んだのは1994年、34歳の時である。 おれが10歳の頃だったことになる。

高速コーナーに一直線に衝突し、車体はバラバラ。 一部が首だか胸に突き刺さり失血死。 東京でアイルトン・セナの遺品展があったようで、 おれの母親が見に行ったそうだが、 ブレーキペダルにはドライビングシューズの跡がくっきりと 残っていたそうだ。 衝突の衝撃がいかに大きかったを物語っている。

セナが死んだ! というのは、当時、大変なニュースだった。

原因としては色々言われていて、 セナ自身が精神的に不安定だったとかも言われている。

当時、セナの後ろを追っていたのはミハエルシューマッハということもあり、 彼自身は自分がセナの死に一定の責任を感じていたのである。 故に、セナの優勝回数41回に並んだ時に、ミハエルはひと目を憚らず泣いたのである。

天才の死が残されたものたちに与える影響は計り知れない。 でもおれが死んでも、1年後にはみんな忘れてるだろうな!HAHAHA

ぶっちゃけなにやってたかはしらんけど! マリリンモンロー

おれはぶっちゃけマリリンモンローの映画は一作も見たことがない(というか映画スターなのかも知らない)し、 スカートが巻き上げられてる写真しか知らない。

そんなマリリンモンローが死んだのは36歳。1962年のことだった。

完全自殺マニュアル「クスリ」編

で紹介したバルビツール系睡眠薬の過剰摂取とも言われているし、 陰謀説もある。

彼女は36歳で死んだけど、 それから50年以上経った今でも人々の記憶に残り続けている。

天才囲碁棋士 本因坊秀策

本因坊秀策は広島の因島というところで生まれた。幼名は虎次郎。

子供の頃から天才的な碁打ちで、 本因坊家に入門。 そこから一気に、当時の最強棋士に登りつめ、 数々の名局を残す。 井上因碩との対局で生まれた「耳赤の一手」は 「本当にあの一手は良い手だったのだろうか?」と長年 囲碁界で謎として語り継がれ、 囲碁AIが発達した現代において、もう一度再検討がされているほどである。

秀策の「耳赤の一手」と囲碁AI

そんな本因坊秀策が死んだのは1962年、34歳の時であった。 コレラ患者の看病をしていたら、自分も罹患してしまい、それが原因で死去。 幼少期から優しい少年だったと言われている。

彼の時代の棋譜は、コミなしであり、黒番が圧倒的に有利ということから今とは 打ち方がだいぶ異なるがそれでも棋譜の質が高いため、300年以上経った今でも並べる人がいる。

もちろん、ヒカルの碁でsaiというキャラクターのモデルとされていることは有名で、 それによって日韓中問わず、多くの囲碁棋士を生んだことも彼の功績に数えることが出来る。

彼もまた、30年あまりという短い間の中に 猛烈な成果を上げた人間の一人だ。

文豪 芥川龍之介・太宰治

ぶっちゃけていうとおれは芥川の本も太宰の本も一冊も読んでないと思うけど (いや麻布の国語授業で読んだ気がしていたが)、 すごい文豪だったということだけは知っている。

両方とも自殺によって死んだ。(芥川35歳、太宰38歳)

物理とプログラミングの天才 村主崇行

村主崇行はプログラミングの天才であり、 それを物理に応用する道を突き進んでいた。

Paraisoはその多くをHaskellという言語で書かれており、 物理の数式を書くとそれが自動的に最適化された並列計算コードに変換されるソフトウェアだった。 これによって、プログラムを書くのが苦手な物理学者でも効率的な計算機実験が出来るようになることを目標にしていた。

また彼は、MonadiusというHaskellで実装した グラディウスの開発者でもあった。その当時はHaskellを使ってる人はごく少数で本もない時代である。 その中で、ゲームアプリケーションを実装することは大変困難なことであったと想像する。

頭も抜群に良い上に、手も動かせる人間であり、間違いなく日本の未来に必要な人材であった。 短い生涯の間に抜群の成果を出したが、健康であればきっとこれからもきっとそうし続けただろうことは想像に難くない。

33歳、網膜下出血だったと言われている。

村主君のこと

開成史上最高の天才 長尾健太郎

開成高校史上最高の天才 東大卒 数学者 長尾健太郎氏(31) 癌死

長尾健太郎は、天才を集めた開成の中でも史上最高の天才と呼ばれた人物であった。

天才が集まる数学オリンピックには中3から参加して銀メダル3つ、金メダル3つともう理解不能なくらいすごい成果を出している。 囲碁も天才的に強かった。

15歳の頃に胞巣状軟部肉腫という最悪の癌を発症。

胞巣状軟部肉腫(ASPS)は、稀で、予後が不良な腫瘍です。 特異的な組織学的・分子生物学的特徴を持ち、独特の臨床像を示しますが、発生起源については不明です。 一般的に若年者に発生します。 他の軟部肉腫と違い、脳に転移することもあります。

その頃から、将来的に死ぬことがわかった上で、限られた命を全力で生き抜いた。

研究者としても才能を発揮して、成果を出していたようである。 建部賢弘賞というのを「Donaldson-Thomas理論と団代数」というもはや何なのかもわからない研究によって受賞している。

最終的に肺や脳にも転移し、死亡。31歳


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