Want-To-Be Thinkingについて考える

世の中にはおかしな考え方をする人たちがいる。 彼らの思考法について知ることはとても重要なことだ。 最近私は、この思考法について考察を続けている。

おさらい:人は自分の常識を超えられない

人は自分のものさしでしか物事を評価出来ない

で、人は自分の常識を超えているものを不快と思い、批判するということを話した。 その上で、逆に自分が不快と思うことは、成長のチャンスかも知れないと捉えてみようという話もした。

今回はこの応用で、人は「自分がこうなってほしい」と思ってることを 「こうであるべきだ」と勝手に決めつけるおかしな人たちの話をする。

私は知的障害者ではない

まさに私は、

ネットのアンチに粘着されて辛いから自殺しようと思っている。助けてほしい

で話したように、ネット上の顔も名前も知らない人間から

  • 自己愛性パーソナリティ障害
  • 知的障害者(ガイジ)
  • 開成や東大にいけなかったから麻布や京大にいった
  • 過去の栄光にすがっている

などと言われているわけだが、それはそう言ってる人たちが「そうなってほしい」と思っていることを 「そうである」と置き換えていってるだけである。 まさに、子供の発想といえる。

しかし実際には私は、

  • 何のパーソナリティ障害でもないし
  • 知的障害者ではないし
  • 開成や東大に行こうと思ったことすらないし
  • 過去に栄光はない。数オリでメダルをとったわけでもないし、ジュノンボーイのグランプリをとったわけでもない

のである。

自慢をすることは何ひとつない

中学受験体験記についても、 ただ思い出を語っただけのものだ。 その思い出に、共有する価値があると信じるから、 それによってページビューを得られる可能性があるから書いただけのことである。 それだけである。 実際に神童だったのだから、 そのとおりに書けば自慢っぽくなってしまうのは当然であろう。


つまり、過去の栄光だとか自慢というのとは全く無関係である。 まさにこれは、彼らにとってそれが常識を超えたことであり、自慢であると捉えているだけのことであるといえる。 きっとほとんどの人にとって麻布中学に合格することは難しいことであるが、 残念ながら、私にとってはたやすいことなのだ。これは、残念ながら遺伝子の差である。 私が100人子供を作れば、100人麻布中学に入れることが出来る。

こうなってほしいからそうであるに飛躍してしまう人たち

最近、ビル工事会社がパイプを落として下にいた男性が死んだとかいう話があり、 そのアールエヌゴトーとかいう工事会社に対してツイッターで好き勝手言ってる人たちがいる。

めちゃくちゃ面白いので一つずつ何が問題か解説していこう。

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「潰れてほしい」と思っているだけ。 現に潰れていないという事実があるのに、それ以上を望むのであれば、 もうあなたがブルトーザーに乗って事務所に突っ込んで物理的に潰すしかないでしょう。

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はい、きましたね。主婦。家事労働おつかれさまです。 危機を感じていたらパイプ落とさないという謎のロジックをお持ちのようだ。 そしてなぜか、パイプを落とすと倒産しなければいけないらしい。 なぜハッシュタグを3連発してるのかは不明。

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この人の信頼は失ったかも知れないけど、 他の人の信頼について勝手に決めつけています。 自分がこうだから他人もこうであってほしいから発展して、 こうであるまで行ってしまっている。怖すぎる。

Want-To-Be Thinkingと呼ぶことにする

私はこういう思考法を Want To Be Thinkingと呼ぶことにした。 そうであってほしい(Want it to be)から、 そうである(Be)を導出してしまう思考法のことだ。 今後もおかしな考え方については考察を進めていき、名前をつけていくつもりだ。 名前づけは、整理をする上で大変役立つ。

この思考をする人は遠ざけよう

これはネット社会以前にも存在していた問題かも知れないが、 ネット社会が進んだことによってより一層顕在化してきた。

もしあなたの周りに、 「こう思ってる」というだけのことを 「こうあるべきだ」とか、はたまた「こうである」まで昇華してしまう人がいたら、 遠ざけた方が最終的には得をすると思う。

私も今思えば、ネット以外にリアルでもそういう人間はいて、 あとになって完全に縁を切ることに成功したが、 もっと早く気づいておけばよかったなぁと思うことがあったからだ。

常に気をつけなければいけないことは、事実からどこまで言えるのかを考えることであり、 これが理系的思考と言われるもののすべてである。 文系はこれが出来ていないことが実に多く、会話が成立しない場合がある。 注意しよう。


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