You-Should-Be Thinkingについて考える

Want-To-Be Thinkingについて考える

に続いて、おかしな人のおかしな考え方について考察していく。

世の中には、おかしな人が溢れていて、時としてあなたにとって害になるが、 そのおかしな人がどういう考えをしているのか型にはめて考えることが出来れば、 おのずと整理がつき、対処がしやすくなる。

藤井七段は期待外れだった!?

最近、藤井七段が最年少タイトル挑戦に失敗したそうだ。ひっひっひっ。 これに対して、 「期待外れだった」と言う人がネットにはいるらしい。

別のタイトル戦挑戦に失敗した時のものだが、 ツイッターで見つけたものを紹介する。

今回のタイトル挑戦失敗については、 はっきりと言う人は見つからなかったが、 「期待していたのに残念」とかいうレベルの表現であれば 多く見つかった。

将棋だけの話ではない

このように、自分が想像もつかないような才能を持ち、 努力もしている人間に対して、勝手に期待をし、それが外れると 残念だ、期待外れと言い出す人間がいる。

期待すること自体は自由ではある。

もっともそれ自体、 他人に期待するくらいだったら自分自身に期待出来るように がんばれよ、他人に期待して夢見てる場合か? と言いたくなるところなので、 他人に期待してる人間ごときはそもそも大したことがないゴミであるから死刑にすべき というのが私の考えなのだが、それはともかく、

「自分より良い才能を持った人間だったら〜は出来て当然」

と思っている人は確かにいる。

陸上で9秒台が出ないとため息

以前に、

陸上の大会で記録が出なかった時に観客から漏れるため息について思うこと

という記事を書いたが、これも同じだ。 自分より良い遺伝子を持っているスーパーアスリートだから、 努力をすれば当然、9秒台で走れると思い込み、 その勝手な期待が外れるとため息をつくのだ。

無論、こいつらにはため息どころか息をする権利もない。

私に対してですら起こる

私自身も、アルバイトをしていた時に 「麻布高校なのにこんなことも出来ないのかよ!!!」 と怒鳴られたことがある。 麻布高校の頭脳なら、一回いえば、何でも出来ると思い込んでいたようだ。

これについては、彼が学歴コンプレックスというのもあるだろうし、 勉強が出来る人に接する機会がないから、 彼らが勉強以外は劣ってることすらもふつうにあるということが 想像出来なかったのだろうと私は考えた。

悲しいことである。

この考えにある理由を考察しよう

なぜこのようなことが起こるのか。

鬱屈。平凡な人間は何をしても平凡な結果しか生めない

平凡な人間というのは、 何をやっても飛び抜けることは出来ないのだ。 例えば、中学受験では、ゴミのような遺伝子を持った子供に何千万つぎこもうが、 入れるのは偏差値50の中学である。そこが限界である。 もともと偏差値40のところに金を湯水のごとくつぎ込んでも、 せいぜいが50止まり、そこから60まで行くことは出来ない。 このように、平凡な人間というのは、どんなに努力しても、 どんなに投資をしても、大した成果は出ない。 これを生まれてこの方、感じ続けているのだ。

自分が努力しても無駄だったから努力イコール無駄となる

ここから第一に、 「努力しても無駄」 という考えが生まれる。 他人の努力を笑ったりする人間は周りにいるだろう。 彼は今までの全努力(それもどうせ大したことはしてないのだろうが) が否定されてきた。だから、他人のそれも否定しようとする。

こういう人、周りにいませんか?

「やってもどうせ出来ないよ」

と言う人がいても、その人にとって出来ないだけだから、 相手にする必要は全くない。本性が見えて早めに人間関係を切れる チャンスと思えばむしろ得になる。

この手の人間は、何千時間と努力をすることが出来ない。 なぜならば、それがきっと無駄になると思ってしまうからだ。 だから、「一週間でマスターするXXX」みたいな本が好きで、 常に「コスパコスパ」言ってるから大変見分けがつきやすい。

努力出来ることも才能とはよく言われるが、 努力した結果うまくいった成功体験がないといけないから、 才能があると努力出来るようになると言うことも出来て、 にわとりが先かたまごが先かといえる。

優れた人は完全無欠のウルトラマンでなければいけない

そしてもう1つ、本記事の本題である 「お前なら出来るはず」という勝手な期待を持ちはじめる。

なぜか?

一つには、その才能が自分の想像の外だから 過剰な期待をしてしまうというのがある。 少し考えればわかることだが、将棋の奨励会を上がるだけでも かなり難しいことで、そこからトップまで最年少で駆け上がるというのは、 極めて難しいことなのだ。運も必要だろう。 プロに昇格する一歩手前を三段リーグというのだが、 ここで一歩抜けることは猛烈に難しいことがよくわかる。

しかし、それすらもわからずに、ウルトラマンであれば 怪獣を倒してくれるはずだ。くらいの感覚で期待してしまう。

これは、

人は自分のものさしでしか物事を評価出来ない

で話したことにも似ているから、興味があれば読んでほしい。

ここには、自分より上であると思っている人間が 完全無欠でなければ、自分が欠陥品ということになってしまうから、 完全無欠であることを期待するという理由もある。 例えば、自分という人間は9で、自分より優れてると信じる人間が10だとする。 しかしもしその10と思っていた人間が実は5だとすると、自分は4以下ということになってしまう。 だから、彼は10でなければならないということになる。

もう1つは、成果の押し付けである。 彼らは平凡に生まれた。 しかし、藤井七段は明らかに才能を持ってうまれた。 自分は藤井七段に期待することしか出来ない。 だから、その期待に応えるようにがんばってくれ! というわけである。 企業の中でよくあることとして、 出来る人に仕事が集中するパターンがある。 これも似たような話といえる。

私もこの考えを持つことがある

私はほとんどの人から見ると恵まれた才能を持っているように見えるだろう。 しかし私だって同じように考えることがあってしまうのだ。

私は修士号しかなく、博士号がないから、 博士に対しては全ステイタス自分より上であることを求めてしまうことがある。 冷静に考えれば、博士なんていうのはその狭い、はっきり言ってどうでもいい確率が 非常に高い分野でちょこっと先端を走っただけの人間に過ぎないから、 他のことは平凡以下であっても何の驚きもないのだが、 私は博士に対してはプログラミング、語学、はたまたベンチプレスのマックスなど、 すべてにおいて、私より上であることを求める。 ほぼ遺伝子のみで決まる 身長すらも私より低いことは許されない。

もちろん、すべてが本当のことを言ったわけではない。 しかし、「博士なのにこんなこともわからないのか。博士号を剥奪すべきでは?」と思うことは実際にある。 これは博士号に対するコンプレックスというのもあるだろうし、自分がとってないものをとってるものに対して 過剰に期待をしてしまうということもあるだろう。

だから、より平凡な人間が自分より優れてると信じる人間に対して 過剰な期待をしてしまうという原理自体は理解出来る。

You-Should-Be Thinkingと名付けよう

おかしな人間のおかしな考えを整理することが目的だから何か名前をつけたい。 「あなたなら当然出来るべきだ」と思うことが本質なので、 You-Should-Be Thinkingと名付けることにする。

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